イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
「一度は書いておこうと思った、他人の素晴らしい芝居」

 満たされないのが現実の生活であり、大それた希望は持たないというのが、僕が創作活動をする原点だと思っている。

 こんな事を書くと、僕が難解な事を考えているようだが、ちゃんと生活をするとそう思わざる得んのじゃないかな。まー簡単にいうと、金がなく、将来成功する見込みがない中で、どうやって楽しく暮らすかだ。これに直面せざるを得ないのが庶民といえるのじゃなかろうか。

 僕は10数年前、若い人の芝居で「監獄の囚人」を主人公にした芝居を見た。舞台は二人の囚人が鉄格子の中で、退屈を持て余しているところから始まった。部屋の隅にある便器に跨る以外は、二人は始終顔を突き合わせている。退屈を通り越したうんざりさを描いている。

 そこに新入りの囚人が入ってくる。喜んだのは旧囚人で、早速新入りを虐め、脅す。が、旧囚人の二人は、すでに何度も行ったイジメですぐに飽きる。旧囚人の監獄生活は長く、この先も解放される見込みはないのに対して、新入りは微罪で、すぐに釈放されるつもりなのが分かってくる。新入りは明るく元気なのが、旧囚人は面白くない。新入りの職業が「落語家」と知り、旧囚人は落語をその場で演じさせる。しどろもどろだけど真剣に演じる落語家に対して、旧囚人は「落語が何か?」を二人揃って全く知らないのだ。「おーい熊さん」の落語口調に、二人は「はい」と返事したりする。それくらい二人は落語の知識が皆無なのだ。二人は落語が面白いのではなく、奇妙な話し方をする新入りが面白いのだ。観客にすると「詰まらない素人落語」を聞かされる羽目になる。

 で、事件が起こる。新入りがトイレに入り鉄格子を揺すると鉄格子がもげてしまうのだ。旧囚人は「元に戻せ」と怒鳴るが、取れてしまったのが事実だ。3人は、突然人生の選択に迫られる。脱獄するか、囚人として、これまで通り牢屋の中に居続けるか。

 2幕は、旧囚人の二人が土管の中に身を潜めている。監獄に入ったばかりの新入りは「外の世界」には詳しいから、「食糧調達」や「偵察」に出かけている。不安な旧囚人の二人。長く離れている娑婆では、すべてチンプンカンプンなのだ。「新入りがこのまま帰ってこなかったらどうしよう?」や「今から刑務所に戻った歓迎されないだろうか」と不安にさいなまれている。一人が叫ぶ。「あっ、今日はカレーライスの日だ」。刑務所での楽しみが「食事だった」のを思い出す。

 そこに新入りが戻ってくる。やくざ風な口調になっているから、二人も「アニキ!」などと敬語を使ってしまう。「ホラ、お土産」と新入りが取り出したのは、赤いパンティー。喜ぶ二人に新入りはすかざず言う。「そんなパンティーを履くのは、ババアだぞ」と笑う。

 その後3人はバラバラになって逃げるのだが、どう見てもすぐに逮捕されるだろうという雰囲気で描かれていた。

 牢屋にいるというつまらない現実と、自由になるという希望。そして実際に脱獄すると、「夢」が「より過酷な現実」になるのを描いていた。一般的に言うなら、「希望のない芝居」であり、つまらない現実を受け入れるのがテーマだと分かった。

 彼らの次の芝居は「出口なし」という題名で、死後の世界を描いていた。死んだ人たちだから、決定的に抜け出せないのだ。死ぬことによって「現実逃避」が出来ない。「現実を受け入れるしかない」という設定。

 そして登場人物たちは死んだ時の衣装を着たままそこで暮らしている。死後の世界の一番のベテランはやくざ風の男で、腹に刀が突き刺さったままだ。不倫で心中した奥様は和服で知的なのに対して、男のバレーダンサーは肉体美は誇るが頭は空っぽ。和服の奥さんは「こんな男の為に死んだのか」と悔い続ける。奥様のヒステリーに対して、バレリーナの男は奥様の好みのジャンプを繰り返す。失恋で水死した女の子は水着のままだし、学生服の中学生はイジメられて学校で首吊りをしたのだ。ズボンが汚物で汚れるのを嫌ってか、下半身は裸。

 圧巻なのは、この死人たちの会議だ。「ここで暮らすのだから、どうやったら楽しく暮らせるか?」が議題。「○○さんは掃除をサボる」のような学級会の意見しか出てこない。だって皆は「死ぬんじゃなかった」と思っているのが手に取るように分かるんだもの。死後の世界で前向きに生きるわけにはいかない。

 「牢屋」の話がシリアス喜劇だとすると「死人」の芝居はグロテスク喜劇といえる。ともに「絶望」を、観客の笑いで救おうとしているのだ。

 こんな芝居を書いて主演していたのが、小説家の山下澄人君で、10数年前に見た芝居を、ここまで僕が覚えているのだから、面白かったんだろうと思う。が、ひどく山下君に同情した記憶もある。「絶望を扱う芝居」は、演劇のセオリーから外れているのだ。こんな芝居を続けるのは困難であり、大勢の客にウケるわけがないと思ったんだろうな。

 山下君が書いた小説もそうで「こんな難解な話」が、ウケるわけがないと思って、山下君を不憫に思ったものだ。

 彼の劇団は休眠しているようだが、創作中は作家といえど「何をやろうとしているのか、が分からん」というのは理解されにくい。山下君が僕のWSに参加してくれて「雄三さんに正解があると思うな」と、盛んに言っていた。「雄三さんだって分からんのだから」

 学校生活を代表とする一般社会では、上司や教師が指示者であり、それを実現するのが「支える人たち」と思いがちだが、創作はまるで違うのです。僕は「正解がない」という空気を共有することだと思っている。

 昨日の「雄三語録ブログ」の続きで言うなら、僕は「愛」って「雰囲気の共有感」だと思う。そして「絶望している人」への「絶望の共有」にマニアルはおろか、正解などあろうはずがない。作家山下澄人君は、初めての芝居から「絶望」を視野に入れていると僕は思っています。どうか山下澄人君に興味を持ち続けてください。

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「愛」について

 芝居の稽古で、僕の恩師である演出家の大橋也寸さんが、稽古をしている参加者に「あなた、人を愛していないくせに、なんで自分ばかり愛してもらいたがるの」と言った。大橋さんとのほぼ初対面の参加者は絶句していた。

 芝居の稽古でこんなダメ出しをするなんて、と僕の中では「擁護」したい気持ちや「反発心」が渦巻く。そんな事を言ったって「本人は愛しているつもりだろうに」とは思う。

 こんな恩師に19歳の時から演劇を習っているのだから「愛」について考えざるを得ない。「愛って何?」を考え続けて70歳になった。その時々で「愛」についてはいろんな考えはあるが、これを機に「愛」について書いてみようと思う。

 僕は病気の都合で、自宅に近いワンルームで隔離されていたことがある。食事を運んでもらう以外は一人。当時、保育園児だった次男が、黒猫の生まれたてをを拾ってきて、一緒に住むことになった。どぶで拾ったから、名前は「ドブ」。母親猫以外は知らない子猫だから、僕によくなついた。僕が風呂に入るとパニックを起こして鳴き叫ぶ。ドアを開けると、湯船のヘリに上がり、悲しそうに鳴く。たまに猫じゃらしのようなもので「遊んでくれ」とせがむだけで、後は手が掛からない猫だった。

 自宅に戻り、リハビリで近所を散歩するようになると、ドブが付いてくるようになった。最初は見計らって近所を遊びまわっていたのだが、僕のリハビリの散歩コースがいつも同じだと分かったのか、前後を付きまとうようになった。先に行っては「早く来い」と鳴いたり、遅れると「待っててくれ」と鳴いていた。意地悪をして違う道に入ったりすると、ニャーニャーとうるさい。用事があって他所の家を訪ねたりすると、その家に入り込んで大騒ぎになったりした。

 このドブが思春期になると、夜になっても帰ってこないことがあった。ひどいと2,3日は帰ってこない。猫好きな人に聞くと「縄張りを守っている」らしいのだ。夜中に大きな獰猛な大猫に追われたベランダで取っ組み合いをしていた。眉間や首筋に生傷が絶えなかったから、外では喧嘩ばかりしていたんだろう。

 ドブが喧嘩で負けて帰ってくると、僕は労わって、追いかけた大猫を追っ払ったりしていた。

 家に逃げ返る、言い方を変えると「逃げ返る場所がある」というのが「愛」ではないかと、猫の事を思い出して僕は思う。

 僕の育ったのは農村地帯だったから、むろんいじめや暴力沙汰はあったが、イジメられた子が「家に戻る」と泣きながら校門を出ると、僕ら悪ガキはイジメた子を慰めたものだ。喧嘩した村の子が逃げかえるのも家なら、文句を言いに来るのも家の人だった。

 村の子供は、猫と変わりがないということでもある。

 我が家の黒猫ドブの場合もそうだが、僕が障がい者となっていつも家にいたから、逃げ返ることができたのだろう。

 息子が同級生を我が家に連れてくるようになったのも、いつも僕が家にいて、連れてくる悪ガキをかまっていたからだろう。「息子は来ていませんか? 3日も帰ってこないんです」と、お母さんが尋ねてきたこともある。僕は息子の友達には飯だけは食べさせたからね。学校に行かない子には芝居の手伝いをさせていたから、宿泊したり、旅公演にまで付いてくる子供も現れた。

 今、NPO[ららら]を仕切っているユウジは次男の同級生で、プチあやのは5歳からきているシングルマザーの娘だ。そうそうムラタも長男の友達の恋人で、20年間近く、我々の仕事を手伝ってくれている。ムラタが来たばっかりの頃「東京に大地震があったら、ムラタどこに行く?」と聞いたら、「ここ」と床を指さした。

 なにも僕は自慢話が書きたいのではなく、「家族の崩壊」が思いのほか進んでいると思うのだ。友人の3歳になる娘を一晩預かった時に、我が子が4歳と0歳児だったから、その幼子と僕の布団で添い寝した。ハラハラしたが夜泣き一つせずに朝を迎えた。

「よかったね。お母さんがもうすぐ迎えに来るからね」と慰めると、突然その子が泣き出したのだ「ここの家の子になる!」。それは激しいものだった。

 この子は特別としても、今の幼子は「親を選べる」と思っているのだ。

 僕は家庭の崩壊は「空気を読む」に繋がっているのではないかと思う。家庭というのは、父がいて、母、兄弟が居るのがスタンダードだろう。僕の場合は祖父母がいた。で、一緒にご飯を食べるが、そんなに話題があるわけではない。が、食事中は泣き叫ぶ子供もいなければ、両親の喧嘩も起きなかった。これが「空気を読む」に繋がっているのだろう。

 大勢の人が共に過ごすのが「家庭に食卓」にあったと思う。格別楽しいわけではないが、他人といる基本が家族の食事で、木塚居なく食事をするのが繰り返された。

 孤食が多くなった今は、「空気が読めない子」が出てくるのも当然な事だ。が、この空気が読めないは社会的な問題になっている。「空気が読めない子」だって友達を作りたいに決まっている。が、友達というのは「ツーカー」の関係を目指すから、そんな子は「イジメ」にあう。

 立花隆のアメリカの性の解放を試みている若者集団のレポートがあったが、女性二人と男性一人が同じベットに寝ていたそうだ。性を共有するフリーな関係を実践しているのだが、何かのはずみで「それ、ディケンズの小説みたいね」の女性の一言で男が笑ったとか。そしたらもう一人の女性が嫉妬に狂って、性を超えた関係は崩壊したとか。

 それを読んで、「ディケンズってなに?」って聞くこともできなくなっているんだと思った。この質問こそが「空気を読むこと」でしょう。「知らない事」というのは「好奇心」と一対になっているものなのだ。「知らない事」を「傷つけられた」「馬鹿にされた」という風潮が「空気を読む」に関係していると思う。

 僕に「おじさんなんで足がないの」とちゃんと質問した子供は金沢のアトリエの坂道だ。幼稚園児の集団に「ライオンに噛まれた」と言ったら、中の一人が「おじさん泣いた?」だって。小学生に「車に轢かれたんだよ」と言ったら、不思議そうに「そっちの足はどんな風に曲げていたの?」だって。金沢でも旧市街だから大家族が多い地帯の子供たちなのだろう。見知らぬオジサンに物おじしない。東京の病院の待合室で、子供が「お化けみたい」とお母さんに訴えていた。僕もお母さんも「余計なことは言わないの」と目配せするしかない。

 こんな現代の都会で「どうしてあなたは他人を愛さないのに、愛して欲しがるのよ」という恩師のダメ出しは、とても貴重だと思う。

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「三島由紀夫」について

 三島由紀夫氏の自決についての書き込みや、歴史認識についての質問が、雄三語録ブログにありましたので、感想を書こうと思っています。もしかしたら僕がアメリカの次期大統領トランプ氏の事を書いたからの反応かもしれない。若い人に、市井の老人の特別じゃない意見も必要なのかも。

 僕は太平洋戦争が終わった翌年に生まれているから、直接の戦争自体を見聞きしたわけではない。が、学校の先生や村の大人たちは、家族が戦争の渦中に生きて来たから、断片的に聞いてはいたが、日々の遊びや家の手伝いに明け暮れて、ほとんど歴史というか、過ぎ去ったこととしてしか関心を示さなかった。

 中学生になって見たテレビがプロレス。日本国中が力道山の空手チョップに熱狂したから、日本人にはアメリカに戦争で負けた屈辱が噴出したのだろう。力道山が屈強な米人レスラーを、傷みつけられた最後に倒す。アメリカの物量に負けたと、日本人の誰しもが知っていたから、米人プロレスラーは反則を犯した。それに対して力道山は「空手の空気切り」のような事で対抗した。アメリカ軍が日本に上陸したら「竹槍」で対抗するという婦女子の訓練の「精神的なよりどころ」が、「空手チョップ」と繋がっていたのだろう。竹槍を持った婦女子たちは、心ならずも米兵の娼婦となり、多くの日本人はアメリカ追従となった。それどころか、アメリカ文化を称賛した。

 アメリカの日本占領後、10年たってテレビが普及し、米国のホームドラマがプロレスと共に日本に入ってきた。そのホームドラマでは、どの家庭にも自家用車があり、ペットに大型犬を飼っている。「豊かさ」を日本人の目の前に出現させたのだ。戦争に尽くし、食うや食わずの日本人は、アメリカの豊かさを見て、もう一度日本国の戦争指導者に裏切られた気になったろう。

 まぁー簡単にいうなら、「豊かさ」が一番であり、「国家の決め事は嘘ばかり」が、日本人の心の底に響いたと思う。歴史を勉強しなくても、これぐらいを感じるのは庶民の感覚だったと思う。事に戦争中の若い人にとっては、これは死活問題だったのだのだ。三島由紀夫は兵隊検査を受けて、不合格になっている。友達や級友は戦争で死んでいるのだ。

 この幼い時期の戦争体験が分かれば、三島由紀夫の理解が身につくのではないかな。

 僕ら戦後生まれは、ある種の「烏合の衆」であったが、三島由紀夫は「想像の中での戦死者」だったと僕は思っている。

 どうしても「アメリカ流の豊かさ」に反発しながらも、その水に漬かってしまったのが僕ら団塊の世代ではあるまいか。僕も18歳で欧米資本の劇団に入ったが、すぐに「小劇場活動」に身を投じた。その頃、僕の実兄は広告代理店「電通」の社員となり「大きい事はいいことだ」を信じて実践していた。

 僕は「小劇場を組織」し、劇団活動を始めたが、世間の「豊かな事は良い事」の風潮にあがらいもできず、仲間たちは結婚や出産のたびに、脱落していった。

 世間の豊かさという常識に対抗する為には、「命を捨てる」というシンボルが必要になってくる。「我が組織ここにあり」というやつね。僕の小劇団でも「名を成す事」に焦った。それを示さないと「敗残者」となり「犬の遠吠え」となってしまう。自分には「命を懸けた若い日」があるのだが、それがすべて「無」になってしまう。そう思ったんですね。そんな幻想を持つたのは僕だけではなかったと思う。

 全滅覚悟の「突撃」しかなくなるのだが、こんな突撃なんてせせら笑われるのを承知で、これは日本軍兵隊たちは、米軍の武器の機関銃に日本刀で突進したのを思い出させた。まぁー日本兵にしてみれば、人肉を奪い合うような飢餓で死ぬよりは、意味がなくても「目的らしきもの」で死にたいと思ったとしても不思議じゃない。

 昭和の時代に無駄死にした若者は、こんなことを考えていたわけじゃないだろうが、「三島由紀夫割腹事件」と「浅間山荘での赤軍派事件」がほぼ同時に起こった。自衛隊の蜂起や赤軍派の革命など、当人たちすら露ほど信じていないのに、それを旗印に彼らは自滅したのだ。

 僕は自分史でいうなら、自己壊滅寸前で「イッセー尾形の一人芝居」を思いついたのだ。世間の「豊かさ」に対抗するためには、「バイトが出来る芝居作り」しか方法がなかったのだ。演劇人になるためでも、芝居で喰う為でもなく「稽古が面白いから集まる」という考え方しか残されていなかった。だから、舞台装置も照明も音響もない、台本さえない芝居作りを思いつき、それを実践したのだ。あくまでも「豊かさ」に対するのが表現手段に過ぎなかった。現に我々夫婦は「長男の出産祝い金」で、「一人芝居」を始めたのだ。

 三島由紀夫の金の使い方でいうなら、「盾の会」という私設の軍隊を作り、大々的にパレードをやっていた。その服装一式が何百万とか。隊員は数十人いたから膨大なポケットマネーが必要だったのだ。逆にいうなら、稼いだ金を私利私欲ではなく、架空の私設軍隊の為に使ったのだ。まるで芝居のようだった。

 それと、今の若者には分かり辛いだろうが、戦争が禁止したのは「性欲」ででもあったのです。兵隊にとっては「命を捧げる事」であるのに対して、女性たちは「親の言いつけで結婚すること」だったのです。ともに楽しいわけがない。大人になるのは「辛い事」という前提が当り前のようにあった。だから三島由紀夫の作品は「命を捨てる事」と「性の喜び」は一対になっている。代表的なのは「憂国」で、新婚の青年将校が「新妻ゆえ」に革命の蜂起から外されたのを知り、妻との性行の挙句に割腹する。映画化されているから、機会があれば見るといい。

 そんな時代もあったとさ。「むかしむかし」の爺さん婆さんの話として捉えるのが一番だろうね。今の時代とは何の繋がりもない。生まれる前に起こった事件で、我々は振り回されると思った方がいい。教科書に載る事件は、整理整頓の為であって実態に近づくためではないのです。簡単にいうなら「忘れるため」ともいえる。

 問題は今の時代で、今後100年に何が残るか?で、言葉を変えると皆さんが「何に引っ張りまわされる」かだ。僕は5年前に一人芝居を休止したが、時代の先を試す必要があると考えたからだ。だんだん見えてくるのは「家族の崩壊」ではないだろうか。家族がいないと「古い時代の愛」を子供たちは体感することはできない。これを否定的に捉えるのは評論家に任せておいて、僕は仕事で「学校にいけない子供たち」を預かっている。

 次男が運営していた「子供たちのデイケアー」の仕事に、本格的に力を入れようと思っている。「大人の愛」が実感できない子供たちはこれから続々と増えるだろう。必ず「愛を知らない人」が膨大に増えるに決まっている。そんな時期が来るまで「学校にいけない子供」を力付ける必要が、演劇に生涯を尽くした僕にはあると思っている。

 

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「時代の変化」について

 僕は北陸の寒村で、貧農の4男として生まれ育っている。19歳で東京に初めて来て、役者を目指した。シェークスピアを上演する新劇の劇団だった。当時、劇団員は数十名いたが、その半数以上はしょっちゅうテレにに出る有名人だった。テレビの創成期であり、ドラマが「生本番」だったから、NGを出さない役者が必要だったのだ。映画会社は所属の俳優のテレビ出演を禁じていたから、新劇の俳優が重宝されたのだ。僕なども上京した年にテレビ出演している。

 劇団の稽古は、声楽やバレエ、フェンシングのレッスンまであった。言うならば僕は、昨日までは田んぼ仕事で膝まで泥田に漬かっていたのに、今日からはタイツを履いて気取って歩く事になったって訳。

 僕は、この運命の転換に何かしらの意味があるんじゃないかと、10年前からブログを書き始めた。人生における自分の境遇の余りにも大きい隔たりに、僕は自分の意思というより、「社会の変化を体験しろ」と命じられた気がしてならない。

 幼い日に僕を育ててくれた祖父母の生き方とまるで違うのは当然としても、両親や親戚、故郷に住む兄姉とも共通点がないに等しい。

 田舎の教師として働くことになった母親が、保険に入ると言う事で、祖母がヘソを曲げたことがあった。たぶん聞き伝えで、僕が「保険加入」のその場にいたわけではないが、保険という「死んだ後に貰える金」に、農業の体験しかない祖母が「嫁がワシより大事なのか」と暴れたらしい。祖父母とも丁稚奉公で、7歳より働きに出ているから学校に行っていないから文字は読めないし、書けない。健康保険制度の不整備だったろうと思うが、祖父母とも村の医者以外にはかからず、自宅で死んでいった。

 皆さんは信じないでしょうけども「姥捨て山」の名残が村にあり、夕食の時間になると「首を吊る」と出かける老婆がいたのを僕は目にした。祖父は田んぼ仕事を引き上げ、寝間にこもり、3か月後に亡くなったし、祖母は死ぬまで雑巾を縫っていた。

 父が農家の長男であったため、実の兄弟の面倒をよく見ていた。夏休みには親戚の子供たちが当然のように泊まりに来ていて、合宿所のようであり、兄弟が増えたようでもあった。

 東京に住む、父親の長姉が戦争未亡人となり、その子供である従妹たちと夏には暮らしていたのだが、父が晩年認知症になり、「雄三、結婚式に行くぞ!」と、暗くなってから家を出ようとしたら、付き添いの介護の方が止めたので父は暴れた。50年も前の東京の姉の娘の結婚式だと僕はすぐに分かった。当時は東京までは夜行列車で12時間かかったのだ。父にしてみれば、思うような援助が出来なかったのが心残りだったのだろう。

 僕が育ったころは「家庭や一族」がちゃんと機能していたのです。僕の家も大家族で、正月やお盆は、隣村の「母の実家」の親戚や、長姉が嫁いだ「婚家」からも人が集まり、宴会が始まったものだ。30名近い人数で、毎年の記念写真が残っている。

 今東京に暮らしている僕は、両親が亡くなってからは、実家に立ち寄ることはない。それどころは兄弟とも顔を合わせることもない。

 自分で望んだのだのは、僕が死んでも葬式はしない事と、墓は作らない事だ。もはや一族意識が機能していないのだから、「一族のしきたり」を無視すべきと思っている。

 長兄が僕が結婚した時、清子の実家が施設を運営していたから、「雄三が食うに困っても、何とかなる」と喜んでいた。長兄には「いざとなったら弟の面倒を見る」という意識が眠っていたのかと驚いた。一度だけ、正月に長兄の家に挨拶に行ったがそれっきりだ。

 まぁー日本が豊かになったから、一族の意識は消えたのだろうと僕は思っている。というより年寄りが金持ちになったか「子供が扶養する義務」は必要なくなったに違いない。金はないと年寄りたちは言うが「年金」があるのだ。無一文の昔の年寄りに比べたら、今の年寄りは裕福だ。僕も「親に仕送り」はしなかったが、今の子供たちが「親に金をあげる」は皆無に近いだろう。

 これは日本人の生き方を随分変えたと思う。「子供を育てる」のは昔の親にとっては「年金のようなもの」だったのではないかと思う。だから「子供を育てる事」は「年金の掛け金」のようなもので、子供は育ててくれた親に「将来金を払う」のが当り前だったのだ。これを「恩」という概念にした。

「恩」とは現代語に訳すと「過分な親切」となるだろう。「子供を育てる事」は「過分の親切」だったのです。ですから昔の親は物心つく前の子供に「恩」を教え込んだのです。「恩義にあつい」や「恩知らず」って、僕らの時代の子供は耳にタコができるぐらい聞いた。

 まぁーいうならば「過分な親切」を自覚しろって事ですよね。「太陽」に「水」「空気」に感謝しろってとこまで広がると、ちょっと宗教っぽくなるが、祖父は毎日太陽に柏手を打っていたし、父親は神棚に湧水を欠かさなかった。が、ある時期、そんな「封建的な事」と言って、正月だけにしていた。

 最近は「正月に夫の実家に行くのが嫌」と聞く。挨拶に行かない嫁さんが多くなったから、子供も行かないとはよく聞く。そこの家で生まれ育った夫である息子も顔を出さなくなるのももうすぐだろう。

 日本から「恩」の概念が消えたと言う事だ。良いも悪いもない、そうなってしまったというしかない。で今の大々的な問題は「少子化」だろう。「子供を作らない若い夫婦」が多くなった。

「なぜ子供を作ったの?」と聞くと、「子供はかわいい」と答える老夫婦が多くなっている。子供が「扶養してくれる」という昔の見返りがなくなった以上、「かわいい」に価値を置くしかない、というのが僕の考えだ。ペットを「我が子のように可愛がる」人って珍しくないでしょう。皮肉でもなんでもなく、僕も犬や猫は好きだ。アレルギーのスタッフがいるから飼わないだけだ。

 僕は少子化も時代の波だから致し方がないと容認している。結婚してくれただけであいがたい、と次男の結婚で思ったものだ。そんな時代が現在進行形だろう。

 

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「欠点が魅力」という事の実践

「雄三WS」には様々の職業の人が参加している。ある時、「生活保護を審査する人」が参加していた。その方は面接して、申請者が本当に困窮しているのか、貧乏を取り繕っているのかを判定するらしい。簡単にいうなら「金を出すか・出さないか」を決める仕事らということだ。別に言い方をすると「困窮ぶり」を聞く仕事とともいえる。市役所の職員で、その仕事に就きたわけではないらしい。そりゃそうだよね、こんな暗い仕事は嫌だろうし、不合格にしたら嫌われるに決まっている。

 で、参加者全員にこの公務員の女性の前に座り、自分の生活の困窮ぶりをアピールしてもらった。言うならば、世間一般の面接とは逆で、自己のマイナス面をアピールするといえる。就活とかオーデションなどとは逆で、「自己の短所」の強調でもある。「いかに自分はダメな奴か」を競うともいえる。

 面接官の方に型通りの質問をしてもらった。「どんな仕事をされていましたか?」「どうして働けないのですか?」

 参加者は面白がって、それぞれ工夫をしていたが、全員が不合格になった。

「どうして不合格なのですか?」と聞いても、職業上の秘密というわけではないだろうが、「全然違います」と口を濁していた。僕は勝手に「匂いのようなもの」が必要なんだろうと思っていた。

 別の時にホームレスをやっていたという女性がWSに参加していたが、明らかに雰囲気が違う。分かりやすく言うと街中では「お近づきになりたくない人種」というのかな。

 僕は既成の役者の方と芝居をしていたし、俳優さんはたくさん知っているが、その方々と縁を切り、素人の人たちと芝居を作って20年になる。素人の方に可能性を感じるからだ。文章の流れで説明すると「街中ではお近づきになりたくない人」たちが面白いのだ。この人たちが豹変すると「僕の知らない世界」を当然のように演じてくれる。

 ホームレスをやっていた女の人で言うと、「教師の家庭訪問」のシリーズだったと思うが、子供が警察に捕まって保護者が迎えに来ないと警察から出さないという設定を、すらすら演じる。「一緒に行きましょう」という担任の教師に「あの子は一人で何でも出来ます。そう躾ました」と、頑として自室を出ない。予想を裏切る展開となっていく。観ていて「育児放棄している親」が、具体的に血肉を持って目の前に現れる。

 現実には、芝居や映画では取り上げられない生き方をしている人っているんだなぁーと思える。僕がそのこだわりが分からないながらリアリティーを感じるのだから、観客にとっても初めて見る人物だと思う。

 僕らが認識する「人間」というのは、レッテルが張られた人種だろうというのが僕の持論だ。簡単にいうと「テレビやに出る人たち」というのかな。「私はこういう人間です」というパスポートを持っている人たちというのかな。「自分はこういう人間です」と自分を説明できる人と言ってもいい。

 無為な時間をダラダラと過ごし、日々何もしない人って結構多いと思うが、この「何もしない」というのを芝居にしたいと僕は思っている。「何もしない人」って、脳内は「活発に動いている」のだろう。僕の経験を振り返ると、そんな感じがする。パソコンがあり、スマホがあり、テレビがある時代だから、「何もしないでも、空虚にはならない」という体験を我々はしているのではないだろうか。

 これが「働きもしないで、生意気な理屈を言う」に繋がるんじゃなかろうか。この現象は悲惨でもあるが、滑稽でもある気がしてならない。これを舞台化しようと思っている。「自分を持て余す自分」というのかな。

 日曜日の「カフェに稽古に来た若くもない若い女性」は、身を隠すオーラをプンプンさせながら稽古場に入ってきた。「どうせ私は邪魔でしょう」という感じといえば皆様にも分かってもらえるだろうか。こっちから積極的に声をかけたくないタイプ。「雄三WS」は、だれかれ構わず、どんどん当てて「とっさに喋ること」を強要するから、その子も「詰まんないことを言うな」と僕に怒られながらも喋っていた。

「雄三WS」は、食事が付きお酒も出る。うちのスタッフが毎回美味しいご飯を出してくれる。この稽古と食事がセットになっていて、「混乱する稽古」と「舌が喜ぶ食べ物」の組み合わせは大事なのだ。おいしいご飯をみんなで食べるって、東京の一人暮らしでは、幸福感があるに決まっている。決まりきった予定調和の会話と、礼儀作法が気になる食事って、人間を孤独にする、と僕は思っている。

 食事中、この嫌われる新参の子に古手が尋ねている。「芝居がしたかったの?」。そんな会話が耳に入ってくる。四方山話から、突然話題が変わったらしく「柔道の柔ちゃんがオリンピックで活躍した時ってあったじゃないですか……」と意気揚々と話し始めた。「自分が活躍する場はオリンピックで、団体スポーツじゃないから、柔道だろうと、地元の兵庫県警に行きました」。県警で、「道場がある警察署にしなさい」と言われて、「オリンピックに出たいんです柔道を教えてください」と、男ばっかりの中で柔道を習ったとか。「あなた何歳だったの?」の質問に「16歳でした」と堂々と答えていた。「お前耳つぶれてええんか?」と聞かれて「ええです」と答えたと誇らしげに笑っていた。

 結局、半年で「無理と思ったらしい」が、この話を人前でするのは初めてなんだろうな、と僕は想像した。だって「突然、オリンピックに出る」って話は、まともに相手にしないもの。16歳で柔道を警察署に習いに行き、半年で挫折して、その話を誰にもできなかったとすると、孤独だったろうと思った。

 学校時代の「無視・いじめ」の話もしていたが、それを話せるのが嬉しいらしく、声を出して笑っていた。

 この女の子も、いっぱしの理屈を言うのだ。誰かの受け売りというか、尊敬する人の言葉を記憶したのだろう。だから言い方は「タカビ―」になる。ニヤニヤ笑いだけで、怒鳴り声や怒り声は出せないが、「キレる演技」はできる。「キレる」は自分が被害者でなければならないのだ。

 こんな女性に街で出会ったら「お近づきになりたくない」のは僕だけじゃないだろう。

「欠点を魅力に変える」のは唯一演劇だろうと信じて「雄三WS」を続けています。

 

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「トランプ氏の大統領当選について」

 グローバリズムに先がないって考えるのが、トランプ氏がアメリカ大統領に選ばれた視点ではないかと僕は思っている。イギリスのEU離脱が象徴的で、成り物入れで成立したEUも10年過ぎて、間もなく崩壊するだろう。それにフィリピン大統領もオバマに対して暴言を吐いたが、たいした報復もされていない。東シナ海で中国を封じ込めるという、アメリカの政策というか、国連の決め事を、フィリピンの大統領のドゥテルテがせせら笑ったのだ。

 オバマは中東戦争を終結させるとの選挙公約で、アメリカ大統領に当選したのだ。で、オバマのやったことは、中東からアメリカ兵を撤退させた。で、力を持ったのはイスラム国。中東は訳の分からぬ戦争状態となった。結果、大量の難民がヨーロッパに渡った。この難民をEUは断れなかった。今後も難民は続々と流出するだろう。これに対して既存の政治家は手が打てないだろう。戦争も駄目、難民を受け入れないとなると、今の世界の現状をどうするつもりだろう。

 フセイン政権下のイラクを攻めたのはブッシュ政権だ。フセインが大量破壊兵器を持っているというのを口実にして。当時のラズムヘルド国務長官がテレビで発言していたが「我々は日本で成功したじゃないか」という趣旨。独裁政権を倒し、お金をばら撒けば人民は平和に暮らすという、日本の戦後処理をアメリカは手本にしていたのだ。

 日本と違って中東では膨大な数の難民を生んだということだ。で、未だに「難民を受け入れない」という思想を世界は大ぴらに出来ない。

 この「難民を受け入れない」を実行したのは、我が国日本だけだ。ベトナム戦争後の日本は「難民を受け入れなさい」という国際世論を撥ね付けたのだ。難民以上に「安い労働力」を確保しなければ国際競争の「価格」に勝てないのがはっきりしていたから、日本で「安い労働力」を作らざるを得なかった。で、「安い労働力」の当てにされたのが「芸術家志望の若者」と、僕は勝手に思っている。

 ベトナム戦争直後に「芸術大学」が林立されたもの。日大や近畿大学というマンモス校にも芸術学科が創設されたもの。その卒業生たちは「就職」はしないから「安い労働力」になり得たのだ。

 その後は日本の「多国籍企業」が、外国に多く見られるようになり、日本の労働力の空洞化と騒がれた。それも日常化して日本でも「安い労働力」が当り前となった。「ハケン」がその典型でえしょう。今や夫婦共働きで、一家を支えるって当たり前となったった。てことは、給料が半分になったって事だ。が、この貧乏は日本人同士だから、目立たないし大人しくしているが、難民を受け入れた国はそうもいかないだろう。元々の外国人が、貧乏な本国人よりも安い賃金で働くとしたら、たまらんよね。解雇されるか、給与が下がるに決まっている。

 日本人は難民を受け入れなかったから、トランプ氏を支えた支持者が理解できないのではないかと思う。日本は四方を海に囲まれているから、トランプ氏流に言うと、国境に「分厚い塀」があるようなものではなかろうか。「分厚い塀」に囲まれた日本人は、簡単に「難民に同情」が出来るのだろう。

 中国に責められたアメリカ軍を救うべきだというのが、海外派兵の根拠になっているようだが、あれは嘘の理屈ね。歴史的に言うなら、アメリカを攻撃した国は皆無なのだ。唯一日本軍の真珠湾攻撃を除いて。

 アメリカ本土を攻撃しようという国はあろうはずがない。すべてアメリカが出て行って、その国を戦場にして、攻撃しているのだ。北朝鮮だって「フセインの二の前」になるのを恐れているだけだに決まっている。強がって、虚勢を張らなきゃというのはフセインと同じ。

 だからトランプ氏が、自国を繁栄させると言っているのは理に適っていると思う。アメリカが外国にちょっかいさえ出さなければ、ちょっとした小競り合いで紛争は収まるだろう。

 それをはっきりさせたのがフィリピンの「悪名高いドゥテルテ大統領」だろう。東シナ海に中国が軍事基地を作りたければ作ればいいじゃないか、って態度だったでしょう。フセイン以前の時代だったら、ドゥテルテ大統領はアメリカに「難癖をつけられて報復されていただろう」と思う。

「難民を受け入れない」と誰しもが言いたくっても言えなかったことを、トランプ氏は選挙公約にしたんだと思う。フリピン大統領のドウテルテが「中国の軍事力」なんて恐がる必要がないのを証明したんじゃないかな。グローバリズムの終焉をEU離脱のイギリスが証明し、TPPでも証明されつつある。TPPの国会審議なんて、こうなってみると茶番だね。日本はグローバリズムという輸出産業でこれだけ大儲けしたし、国際紛争の「しりぬぐい」である「難民受け入れ」を避けてきたのだから、トランプ氏が大統領になったからといって、その「良いとこ取り」をするに決まっている。高みの見物で、ゆっくり様子を見ていましょうよ。

息子が「トランプ氏が大統領になる」と不安がっていたから、僕の考えを書きました。ご一笑ください。

 

| - | 04:05 | comments(0) | - |
「寝相によって腰痛が治るそうだ」

 NHKの「ためしてガッテン」を見ていたら、「腰通にならない方法」という回だった。この答えは明快で「寝返りを打つ」と腰痛にならないあった。僕はおおいに「合点」がいった。

 一頃「寝て見る夢」に大いに関心を持って、夢に見たことをノートに書き付けたらしていた。これがほとんど書けない。こんなことに挫折してから「見た夢」を喋れる人を大いに羨ましく思ったものだ。ひょんな拍子で、僕も「夢を喋れること」があったりした。

 この「夢に取りつかれた」ようなことは、挫折と笑い話にしかならなかったが「夢と創作」は関係あると思っていたが、確証が持てなかった。それを「ためしてガッテン」では見事に証明していた。簡単にいうと「寝相が悪く」「寝返り」を多く打てば腰痛が起こらないし、腰痛が治る、ということだった。

 これを身勝手に「雄三WS」に当てはめると、「寝ている時の夢」の行儀が悪ければ、精神の「腰痛」は起らないと言う事だ。もっとこの大ぼらを進めると、「腰痛」は昼間のストレスにあるのではなく、「寝相が良い」ことが「道徳的に叶っている」という、礼儀正しさにあるのではないかと言う事だ。

 昼間の礼儀による自己コントロールは、社会的な立場や利害関係にあるから、それはそれとして、眠るというコントロールの利かない世界では、大いに「羽目を外そう」ということだ。

 「雄三WS」の期間は一週間と限定されており「遅刻・早退・無断欠席自由・自己紹介禁止」をうたい文句にしている。出来るだけ「社会の枠」を外そうというのが狙いだ。昔は、WSの会場を出たら参加者同士「挨拶をするな」としていた。世間知に対して「治外法権」を作ろうとしたのだ。この文脈でいうなら「眠る夢」の世界を、WSという現実の場で作ろうとしたのだ。「眠る夢の力」は本人が把握できない「無限の力」が秘められている可能性があるのだ。

 ですから「夢の力」を信じられるかどうかで、WSの表現方法は違ってくる。「雄三WS」の稽古の本質は、稽古場にあるわけではなく、その日帰って「見る夢」にあるのだ。

 例えば、自分が人を殺す夢を見るとしますわね。そんな「身の毛がよだつ夢」を見ないで一生過ごせれば、目出度い事だが、たいていの人は見る。セックスの夢に至っては見ない人はいないだろう。皆さんも胸に手を当てればすぐに分かる事だが、殺人にしろセックスにしろ「夢の生々しさ」は、しばらく身動きできないくらいシリアスだと思う。

 殺人にしても性の相手にしても、意外な人物だから、動揺し身動きが出来なくなるのではないだろうか。僕が夢で殺した人物は「世話になった人」で不義理の数々をしている人だった。ナイフを突き刺し、それをクルグル回したのだから、トコトンの殺意があったのを認めざるを得なかった。あの人をこんなにも憎んでいたのかが分かると、昼間の価値観の不確かさに気づかされる。

 実は「夜の夢」という精神の「寝相の悪さ」によって、昼間の礼儀正しさに深みが増すのではなかろうか。「精神の寝相の悪さ」によって、「愛・憎」の絡みの複雑さが垣間見える。

 ときたま、昼間の礼儀正しさを「WS」に持ち込む人がいるが、この手の人は世間には多いだろうが、WSには滅多に現れない。すぐに退場するから「互いに縁がない」と簡単に納得できるが、雄三に「反対意見」を言う為に、必ず来る人もいる。その人たちは「何で来るのか分からない」が、「自分の正しさを証明しよう」としているんだろうと、僕は思う事にしている。僕に「自分の誠実さ」を証明したって、何の足しにもならないと思うが、こんなWSが二十年以上続いているのだから、色んな人が来るが拒絶しない事にしている。

 

| - | 00:22 | comments(0) | - |
「霊感を持つ人」はそれを認めたがらない。

「心が揺れない人」っている。「雄三WS」の参加者には、この手の人が多い。一番分かりやすくいうと「怒らない人」というのかな。「怒鳴り声を出さない人」といえるだろう。「諦めている人」といえばピッタリかな。

 今度の「神戸WS」では、フェイスブックに多くの人が長い感想を書いてくれたから、僕には「そんなつもりだったのか」と参加者の内面が覗えて面白かった。

 その一人に、僕が勝手に「霊感がある」と思っている人がいる。中年の女性だが、当初僕は20歳そこそこだと思った。オーラーというか、眼が純粋素朴なのだ。多分、他人にはうかがい知れぬ「内面の世界」があるのだろう。僕は勝手に「観音様」と心の中で呼んでいる。

 その霊感があると思われる人に僕が勝手にシンパシーを持つのは、僕が50代で脳溢血を起こし、左能が破壊されたからだ。その後、「霊感」が身に付いたような気がする。自分でも分からないのだが「ひらめく」のはこれまでになかった事で、特別に幽霊やお化けを見るわけではない。が、昔っから「幻聴」や「幻視」をしていたのに気づかされた。

「魔界には近づかず」という合理主義を取ったが為、子供の頃から「不可思議現象」を気の迷いとして頓着することはなかったのだ。

 主治医に聞くと「脳の破壊には、補完作用が働き、別のチャンネルが繋がるのはよくある」とのこと。僕の主治医がたまたま、安部公房の主治医であったし、安部さんと同じ場所で出血していたそうだ。その話を聞いて安部公房ファンである僕は、作品を執筆中に脳の血管が切れたのが分かった。短編の「カーブの向こう」と、長編「燃え尽きた地図」のクライマックスを書いている時とすぐに分かった。僕も「世界が違って見える体験」をしたからだ。それが「小説そのまま」だから驚いた。

 安部公房も僕も「脳の破壊」という後天的な病気の結果「摩訶不思議な世界」を生きざるを得なくなったのだが、元々「霊感がある」人がいても不思議ではない。「不思議体験」の故、常識的な世界に馴染めない人が多いし、「霊感がある」のを認めたがらない人も少なくない。

 WS参加者の、僕が霊感があると思っている女性も、本番の当日、稽古場の隅で寝っ転がっていた。体が大きいからふて寝しているかのようにしか見えないが、彼女のブログによると「帰りたくて、参加したのを後悔していた」とか。

「自分にしか分からない体験」を語ってと指示していたら、彼女が喋るシーンでは「光の束に包まれていた」と、打ち上げで別の参加者が絶賛していた。自分でも分からないうちに、芝居が出来てしまうのだろう。

 次回も彼女が参加してくれることを望むが、彼女にはそんな事は伝えていない。「霊感」があるから分かるだろうと、僕は勝手に思っている。

 この彼女の場合「霊感」は分かりやすかったが、「雄三WS」では、参加者の「霊感」、言葉を変えると「その人が持つ独自の世界」を捜しているといえる。これが分かれば参加者は突然名優のような芝居を自由闊達にこなす。これには驚く。

 分かり合うのは一瞬なのです。「すべてが分かり合う」から、きっと恋愛に似ているのだろう。個的な感情がない恋愛かな。僕はこれをコミニケーションの原型と思っている。コミニケーションは一瞬であり、後は信頼だろう。

 美男美女であれば、「霊感がある」というのも、周りは納得しやすいだろうが、僕が体験した中でいうなら「世間で認められなかった体験」が長いからだろうと思うが、多くは「心を閉ざしている」ケースが多い気がする。「ダメ人間」として生きていこうとしているというのかな。「心を動かさない」から「ゴム人間」と僕は呼んだりする。「個人的な感情」を表に表さず、分かりやすい世間知の理屈や感情で対人関係をこなそうとする。コミニケーションと「媚びへつらい」とは紙一重の違いと僕は思う。自分の感性や頭脳を他人のを借りるというのかな。周りが喜ぶような自分を作り上げ、それに固執する。だから「一人っきり」が周りを気にせずに済むから、自由で楽なのだろう。一般に思われる「孤独」とは違う。

 そんな人たちがリラックスすると「別人の顔」に見える。いつも人前では気が張っているというか、プレッシャーを感じるのだろう。

「雄三WS」を初めて20年になるが、年々この「霊感のある人」、別の言い方をすると「世間に馴染めない人」が多くなっているように思えてならない。

 僕に言わしたら「霊感のある人」こそが「創作者」ではないかと思っている。すでに「一般社会ではない世界」を内包しているのだから、ただただ「その世界」を表現すればいいのであって、作品の評価である後の判断は「世間知」に長けた人がおこなうのがいい。僕のような脳が壊れた挙句の「霊感者」は創作のサポーターに回ればベストと思っている。

 皆で「創作」をしましょう。「世間と違う世界」を持っている人は、「創作」でしか自分の能力を生かせないんじゃないかな。

 

 

| - | 02:23 | comments(0) | - |
「自分で生きる」について

 シェークスピアをよく上演する劇団で、僕は初めて演劇のプロの人たちに出会った。18歳の時に戯曲を勉強した。中世のヨーロッパの芝居の台本。あまりにも現実に我々が喋っている言葉と違うのに驚いた。思春期の僕は「愛している」の言葉が、芝居の台詞とはいえ真顔で言えなかった。ニヤニヤ笑ってしまう。

 どんな切っ掛けか忘れたが、フツーの人の「何気ない言葉」で芝居を創ろうと思った。テープレコーダーを持ち歩いて、普通の人の「何気ない会話」を収集した。その時に驚いたのは、普通の人は会話なんかしていないという事だ。確かに相槌は打つが、内容に入って行かないということかな。そうか、日常人の語りって「一人芝居なんだ」ということね。

 が、戯曲にしても、テレビドラマにしても「会話」は受け答えになっている。相手の言葉が、こっちの心に届くのが前提となっているというのかな。これは嘘で現実に即してはいない。我々の会話は「一人語り」の順番交代に過ぎないのが真実だ。

 演劇人は現実の会話が「一人語り」とは理解しない。で、当然のことながら僕の演劇は「素人の人」とジョイントすることに向かった。

 神戸のWSの3日目に初めての年配女性が現れた。その人に「亭主の悪口」を語ってもらった。たまたま録音していたので、それを活字にし、下記に載せた。長いけど読んでください。

 

 そもそも、あんた行かなあかんかったん。うちの家には父親はあんたしかおらん。向こうの彼女は旦那が居るやん。「行くな」とは私言えんかった。「気をつけてね」って言った記憶がある。でも、やっぱ納得でけへんねん。

 あんたはなぁー、よう飲んだ。ようマージャンもした。私はそんなものええと思ったよ。辛抱したよ。でも、愛人は辛抱できんかった。あんたに「私より、その女が大事か?」って聞いたら、あんたは「そうや」って答えた。

 その瞬間、耳がパーって音がして、耳の中にザァーザー、ザァーザァー雨が降ってきた。耳が聞こえんようになってしもうた。「病院に連れてって」って言うた。それがあの地震の日や。あんたは私を病院に残したまま「じゃ、行くわ」って言うて、女の家の方へ走って行ったよな。

 もう、結婚、終わりにしようか。うん。終わりにしよう。

 私もな、23年間やり切った気がするよ、あんたの女房。もういいと思う。

 あんた学生時代カッコ良かったよ。お金がない学生の先頭に立って、弁護士闘争、裁判闘争やっていた。プラタナスの並木道、あんたと歩いた時、あんたのことを「高嶺の花や」と思ったよ。3っつ上の先輩はとてもカッコ良かった。学生時代、あんた私に言うたよな。「子供を産むことを避ける男と女の関係は本物やない」。身ごもった子供をおろしたら、あんたはいなくなる思うて、産んだ。学生結婚した。

 が、頭の中の理想と、それを実行に移す能力があんたにはないのが段々と分かってきた。一人目が生まれ、二人目が生まれ、「今日は早く帰ってきて、風呂に入れてな」と言ったわ。あんたは嘘ばっかりや。3人目が生まれて、4人目が生まれて、「マージャン止めてな」と頼んだ。「うん、うん、止める、止める」って言ってたあんたは朝まで帰って来んかった。そいで6人目までいったわ。

 私あんたに頼っていたわ。「明日私頼まれた仕事あんねん。絶対、早く帰って来てな」。でも、明け方に帰ってきたあんたは、ずーと寝てた。「明日、町内の仲良しグループで映画村行くさかい、赤ん坊預かってな。あたし後の5人連れていくから」。でも、あんた帰って来んかった。あたし、赤ん坊背負うて、太秦の映画村、5人の子の手を引いて歩いたわ。

 それでもな、わたしそれくらいは辛抱できた。

 あんた憶えてる。私が熱出して、動かれへんようになった時、あんたの職場に電話して「子供ら腹空かしてる。なんか買うてきて」って頼んだ。あんた珍しく、ポテトサラダと唐揚げ持って帰ってきた。それはまだ暖かくて、私今でもあの味憶えているよ。おいしかったよ。子供たちも「おいしいなぁー」と喜んでた。その後、あんたの彼女から電話が掛かってきたよ。「奥さん、あんたの旦那に頼まれて、唐揚げとポテトサラダ、私が作ったのよ」。

 それがあんたの想いやりか! あんた女のこと分からへんのか! できれば、この手を腹の中に突っ込んで吐き出したいわ。、唐揚げとポテトサラダが私の血となり肉にとなったかと思うと、死んでも死に切れん。

 もう別れよう、カッコ良かったあんたは終わりや。。

 

 その女性が即興で「これらの台詞」を喋りだしたら、周りの皆は笑った。喋った本人の女性は「これのどこが可笑しいの?」と、とても不思議そうだった。「誰にも言わなかったし、自分がこんな事を言うとは思わなかった。

 問わずもがなに彼女が語りだしたのは、子供がの手が離れてから「高校教師」になり、演劇部の指導をしていて「雄三WS」を知って参加したとか。高校の演劇部では「学芸会のような芝居」を指導しているのだろう。芝居の内容と「自分の現実」が懸け離れているということだ。これを僕は「学芸会」と言っている。

 我々は「繰り返される日常」を抱え込んで暮らしているから、「日々の暮らしの辛さ・不満」を意識できない。「漠然とした幸福や不幸で覆い隠す」そして「鈍感な自分」を作り上げる。簡単にいうと「ゴム人間」のような自分であり、「目先に囚われる自分」だ。

 僕は「何のために生きて来たのか?」と強く思う。だから「雄三WS」では「人は様々」であると受け取るよう指導する。そして「自分が変わった人間」にまで到達する様に望む。「自分が必死で悩んでいる事」が、実は滑稽であると実感して欲しいのだ。この「自分の真剣を笑う」のが創作の原点であり、これさえ認識すれば「芝居は面白く」なり、小説などもすぐに書ける。

一度きりの人生を「自分で生きなきゃつまらん」と思うし、これには誰しも賛成だろうが、「自分で生きる」という「つもり」にはなれても、そうなる方法を知らないだろうし、伝えるのは難しい。

 

| - | 14:22 | comments(0) | - |
山下澄人君の小説「しんせかい」について

 山下澄人作の小説「しんせかい」が、新潮社より刊行された。単行本となって手に取ると、新しい発見に気づかされる。これまでに読んだ「しんせかい」は雑誌だったから、身近に感じられて「山下君の自伝」のような気がしたものだが、単行本という体裁を整えると、「山下君の個人の話ではない」のが良く分かる。

 一個人が、見知らぬ世界に連れ込まれるというか、連れ出されるという話なのがはっきりする。冒頭の船に乗るシーンも、本人が船に乗りたかっのではないのが良く分かる。だからといって、船に乗りたくなかったわけでもない。漠然と船に乗ってしまったというだけで、それ以上でも、それ以下でもない。宙ぶらりんの主人公を支えるのは、子供時代を過ごした「過去」でもなく、未知の世界に向かう好奇心である「未来」でもない。

 ここの書き方が見事で、思い出す過去は地元の同級生である女の子であるが、友達以上、恋人以下でしかない。目的地に居る「先生」に対して主人公は知識を持ってないが故に、同行の仲間から呆れられる。そんな風に作者は主人公を「宙ぶらりん」にしている。

 だからこの小説は、カフカの「流刑地にて」を連想させる。国を追われたポーランド人作家や、ナチの迫害を受けたユダヤ人作家の系列にあるのだろう。

 これらの世界史的な小説を作者が目指しているのが分かったのも、単行本という形になったからだろう。友人である作者の山下君は「俺、お前」という親しさの奥に、「書かんとする事」の素晴らしさを秘めていたのだ。山下君がペイペイの時代の知り合いである僕は、「人って分からんもの」だと、つくづく思う。変貌ぶりが敬意に値する。と、同時に「こんなことを書いて、食っていけるのか」と心配になる。

 先進資本主義の最先端である日本国で、良いにつけ悪いにつけ「金一辺倒」となってしまった現状で「宙ぶらりん」が成立するのかの杞憂を僕は持つ。本文にもあるが「谷」を「収容所」と捉える感覚が読者にあるのだろうか。主人公が「栄養失調」で作業中に意識を失うのが、どれだけ読者にリアリテイーを持つのか。飽食の時代の今は「ダイエット」に興味を持つ人はいても「栄養失調」なんで語彙は、テレビのコメンテターだって使わない。

 いうならば、「収容所」も「栄養失調」も死語となった現在の読者に、ついこの間まで厳然と生きていた世界を作者は描いているといえる。それも、20世紀のヨーロッパの話ではなく、作者が体験した若い頃の話としている。

 これは凄い事だといえるし、「しんせかい」は凄い作品なのです。

 フェイスブックをやっていると、山下君の作品を評価する若い読者の多さに驚く。「宙ぶらりん」というか、この世を「収容所」と感じる若者が多くいて、「食うや食わずの生活」でも、1600円の代金を支払って、本書を購入する人が多いのだろう。

 どうぞ山下澄人君の「しんせかい」を買ってください。「1600円がもったいない」と思うあなたこそが、山下澄人君の「真の読者」なのです。僕はそう思っています。理屈っぽくいうと「人はパンを超えて生きられるか?」という原初的な問題なのです。

 いずれにしろ「創作」に関心を持った我々は、長い人生で「金かそれ以外か?」の選択を迫られるに決まっている。金は大事であり、栄養も大事なのはいうまでもない。だから我々の生き方としては「金に勝ったり・負けたり」しようということで、「その都度選択に迷う」としようということだ。

 70年間生きてきた僕は、貧困時代もあったし、金持ちの頃もあった。イッセー尾形さんとの活動を休眠してから、我々の収入はゼロになった。僕は70歳になって無一文になった自分の人生を運命のように思っている。良いも悪いもない、そうなったのが現実だ。そこで人は生きるというのを最晩年になって知った。だからこそ僕は山下澄人君の「良き読者」に成れたのだろうと思っている。親しき人に敬意が持てるというのかな。

 

| - | 13:50 | comments(0) | - |
+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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