結婚は何の為かを考えれば、離婚はすぐに分かる事だ。結婚を「愛情」などという子供じみた考えを持つと、全てが解らなくなる。ドラマと現実の区別が付かないといえる。
「結婚」を「愛情」とするなら、これは歴史の否定になる。「お見合い結婚」は、「愛情」がない故、間違いとなるからだ。僕の一族のほとんどがお見合い結婚。先祖を含めて僕の代まで、恋愛で結婚したのは、僕と次兄に従兄弟のケイコちゃんとミチヨちゃんのみである。が、僕以外は「職場結婚」である。僕は職場結婚も、お見合い結婚の変形だと思っている。
で、僕の一族には一組の離婚もない。先日、甥が離婚したのが初めてだ。
こんな環境に育つと、「結婚」が「愛情」とは思わない。結婚の喜びは「共に金を貯める事」といえるのではないかな。僕の両親も、子供が寝たあと、ヒソヒソとやっていた。夫婦の「秘め事」は、セックスではなく「貯金」だった。夫婦での喜びも哀しみも、預金通帳の「残高を見る」ことにある気がする。
「金という数字」は人間を孤立させるのは間違いないでしょう。お金の借りっぱなしで、返済を気にしなくていいのは、親子と夫婦だけじゃないだろうか。兄弟となると、一般的には借金の借り倒しは出来ない。夏目漱石や太宰治の書籍などでも、兄への無心は敷居が高いと書かれている。
夫婦の繋がりが「愛情」という、訳の分らぬものとなった点が問題なのだと思う。「どんなに好きあって」も、生活を共にすれば「普通になる」に決まっている。言葉を代えると「どうでもよくなる」というのかな。これは、当たり前の事で、何の不思議もない。
WSなどで、時々、結婚している女性から相談を受けるのは「最近、亭主が求めてこない」という心配事。セックスがないというのだ。「そんなもの、どこだってそうだよ」と、僕は一笑に伏すが、夫婦の性については、普通相談できないだろう。だから、雑誌やテレビ、耳学問に頼るに決まっている。
結果、セクシャルな雰囲気作りとなるのは明らか。こんな工夫は幼稚で可愛いものだが、後々、このセクシャルな雰囲気が、大問題となるだろうと僕は想像している。
このセクシャルというのは、相手に対する「親切」の象徴と思って下さいね。
相方が一生懸命だと、それに合わせるのが世の常。例えば、妻がセクシーな寝巻だったりしたら、夫は「いかにもやりたい風」を装うだろう。逆も真。そして、どんどん、セックスという「愛情の行為」が、嘘々しいものに変貌していくのだ。「何で、こんなに相手に合わさなくちゃならんの」という心の声が育つとでもいうのかな。
妻の張り切った手料理だと、美味しそうに食べなければならんという負担と言い換える事も出来る。
ある日、相手の存在が「嫌悪」の対象となる。この突然は、自分でも説明のつかない「嫌さ」。相手の立ち振る舞いに「自然さ」が見いだせなくて、ギゴチナク感じるとでもいうのかな。
コーヒーを飲んでくつろいでる振りしている。テレビで笑って、自分は楽しいという当てつけ。
結果、「同じ空気も吸いたくない」という、よく聞く台詞に至る。
例え、「愛情」で結婚しても、夫婦が貧乏な場合は、すぐに「二人の稼ぎ」が絆の中心となる。「愛情」より「貯金」となるからだ。一方が欠けたら、金銭的に立ち行かない夫婦は仲良くせざるを得ない。いうならば、バブル以前の貧乏な関係となる。これは、伝統的な夫婦の在り方だから、仲が悪いなりに夫婦生活に活路を見出すのです。
ごくシンプルにいうなら、夫婦が仲良くしたければ貧乏であれ、ということですね。公務員や一流企業で高給を貰っているなら、妻に「嫌われる」のを認めろ、となるのです。仕事に精をだし、家庭の幸福は諦めろ、ですね。
大金を稼いで、しかも連れ合いに愛されている、というのは「絵に書いた餅」で、テレビドラマに洗脳されてはいけません。
その証拠に、高給を取っている旦那の実家に、正月に顔を出さなかった嫁は多いはずだ。稼ぎのない亭主の実家に嫁は訪れるのです。理由はどうあれ、事実なのは仕方がない。まー、みんな隠すけどね。
離婚しようが、しまいが、金があるなら、夫婦の関係は冷え切るのです。この修復は出来ないと思った方がいい。この時点で、養育費が貰えたり、嫁の実家の老夫婦がさびしいと、夫婦は離婚となる。
ですから、質問者が言うように、「実家にゆとりがなかったら、我慢するんでしょうか?」は、正しいと思う。あと、見栄っ張りな夫婦も「我慢する」のでしょうね。
ですから、大多数の夫婦は「我慢している」と思って間違いないでしょう。夫婦が仲良くしたければ、貧乏が不可欠ということです。」