イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
質問です
 
自分の人生歩くには、どうすればいいのでしょうか。
| - | 12:40 | comments(0) | - |
「科学の最先端」について
 

 僕は48歳の時の脳溢血が不思議な体験だった。車で渋谷から自宅に戻ろうとしても、違う場所に出る。見なれた風景であるのに、道路のカーブの向こう側が分からない。この道がどこに続いているかが不明なのだ。

 が、頭の知識の部分は明晰で、「世田谷方面」の標識を頼りに自宅に戻る事が出来た。住所といったデジタルな情報はしっかりしているのに、「こっちの方」みたいなアナログな方向感覚が壊れたのだ。

 

 この「感覚と知識のズレ」といった喪失体験も不思議だったが、脳溢血の治癒後、僕は別人になったようなのが摩訶不思議。頭が良くなったと言われたし、そんな感じがあった。いろんな事がひらめくのだ。自然に思い付くのだから、自分でも不可解。占い師のように、目の前の人の過去が言い当てられるようになった。脳溢血以前には、僕には占いのような直観は、全く無かったのにだ。

 医者に聞いたら、「補完作用」で、壊れた脳とは別の場所が働き出すらしい。

 

 そんな事があったから、「脳科学」の入門書を読んだら、専門用語ばかりでチンプンカンプンだったが、脳は科学的にほとんど分かっていない気がした。江戸時代の「解体新書」程度といえば、僕の感じが分かるかな。「肺臓」が呼吸する所で、「心臓」が血を送りだす所といったアバウトさ。図解の脳に印があり、この辺が視覚、聴覚といった程度。記憶のメカニズムはほとんど分かっていないらしい。

 

 その時に読んだ本が、コンピューターによる人工頭脳。人間の脳の複雑な機能は、コンピューターの比ではないらしい。その人工頭脳の研究者が、オウム真理教にどっぷり浸かった若者の「洗脳を解いた」らしい。洗脳された若者を理屈で説得するのは簡単だが、彼らの神秘体験を解く為に、もう一度神秘体験をさせねばならない。教祖による特赦な体験ではなく、神秘体験は簡単に作り出せると証明して見せたのだ。相手の脳を言葉でコントロールすることにより、金粉を天井から降らせたとか。その後、洗脳を解く為には、困難な作業が必要だったと、「逆洗脳」という書物に書かれていた。

 

 人工頭脳の研究は、やっと玄関に入ったところで、その懐は深いと思われる。だから今後、人間並みの脳を持つロボットが、作られるのは間違いない。そして人間の能力を超える、ロボットが当たり前のようになるだろう。そうなった時に「人間とは何か?」「人の能力って、なんじゃそりゃ」「まだ、心があるの」と問い直されるかも。

 科学の進歩は留まる事はなく、原始的な人間の幸福を破壊しつくすのは間違いない。だから、新しい事柄、例えば高額のロボットとセックスをするのを幸福とする、みたいな事が起こるかもしれない。

 このロボット研究の分野では、日本は抜きんでているんじゃないかな。それは、生命に対するタブーが日本にはないからだろう。戦後流行った漫画「鉄腕アトム」の、アトムって原子だもんね。アトムの妹が「ウラン」。放射能を子供達がヒーロー、ヒロインにしたのだ。世界唯一の被爆国と政治的に叫ばれていた時期にだ。
 日本には、思想的な節操がないといえるのではないかな。

 

 質問者が書く「科学の最先端の分野は、もう、ほんのわずかしかない」というのは、科学の怖さを知らないといえるのではないかな。




 

 

| - | 23:30 | comments(1) | - |
質問です
 
技術力や科学で世界の最先端を走っている分野は、もう、ほんのわずかしかないのに。
日本の自信はどこからくるの。からげんき?
| - | 18:52 | comments(1) | - |
「口喧嘩で勝つため」について
 

 僕が高校生の時に、母親と長兄の嫁が激しい口喧嘩をした。その頃は、まだ、長男が実家を継ぐのが常識となっていたから、同居している「嫁と姑」の争いだ。

 争いの元は、二番目の子供を妊娠した折に、母親が「堕胎しろ」と言ったのが原因だった。若い夫婦の子供を、年寄りが「堕ろせ」と命ずるなら、これが間違いなく「悪」、すなわち「鬼婆」。

 だから、姑を「鬼婆」とする言い争いが、嫁と姑の戦いだった。ポイントは「堕ろせ!」と言ったか言わないかに帰結する。

 母親は「そんな事は言わない」と泣いて主張する。嫁の「妄想」だという論理。嫁は「言った、言った」との連呼。母親が嫁と「二人っきり」だと底意地が悪いとの主張。

 その言い争いを見つめる、父親と長兄、雄三の男3人は、関係の濃い女性二人の激しい言葉のやり取りを傍観していた。

 結果、兄夫婦は実家を出て、アパート暮らしとなった。

 

 後年、この「覆水が盆に返らなかった」口喧嘩を思い返すと、時代の流れが分かる。農村の大家族の風習では、子育ての役割は「祖母」にあったのだ。僕も物心が付いたら、バーちゃんと同じ布団で寝ていたし、田んぼやお寺詣りは祖母に連れて行かれたものだ。

 母親も長男の一人目の子供は、嫁さんが勤めている間は、子守りをしていた。

 

 兄嫁の側は、女性の社会進出の直前だったから、寿退社が当然だったのだ。ましてや銀行の窓口業務は「お見合いの有利な条件」の一つだった。銀行側としては、結婚しても仕事を辞めないのは異例なことであり、子供が産まれても止めないし、二番目を妊娠した状態だったのだ。家庭を持っても退職しない彼女は、職場で様々な嫌がらせにあっていたようなのだ。「辞めてやるもんか!」と彼女の気持ちが渦巻いたとしても不思議じゃない。男女機会均等法が制定される直前の事だ。

 

 農村の「子育ては祖母の役目」という常識が消えていく時期と、女性の職場進出の常識が生まれる潮目に、我が家の口喧嘩が起きたのだ。

 切っ掛けは、病弱な母親が、「二人目の子供の面倒は見切れない」との申し出だったのだ。「孫の育児」という農村の年寄りの義務放棄の申し訳なさが、嫁に「仕事を辞めて欲しい」という言葉になったのだ。

 その言葉を、職場で嫌がらせを受けている嫁は、自分の働く権利を放棄しろとの勧告に受け取ったのだ。

 互いに互いの背景を知らない、嫁と姑は、激しい口喧嘩となり、「子供を堕胎しろ」に発展したのではないかと、僕は思う。常識の違いが、相手の一挙手一投足が気に入らないとして現れるのだろう。個人的な好き嫌いではどうにもならないのだが、本人には「相手の意地悪」として映る。

 母親にしては「孫の面倒を見られない、役立たずの姑」として責め立てる嫁として受け取る。嫁は「働く能力があり、職場で頑張っている自分」を邪魔立てする義母として映る。

 

 この常識の違いが、今は結婚生活に入り込んでいるのではなかろうか。極端に男の実家の地位が下がったのだ。これが時代の流れ。

若夫婦が住居を手に入れると場合、これまでの常識では「夫の実家」が金銭的な援助をするものだったのだ。夫の親との同居がなくなったが、建前としては、「息子夫婦の住居提供」が男の側の義務だったからだ。

 が、現実的には「若夫婦の住居」の金銭的な援助は、女の親も行うのだ。この「女性の側からの援助」は、夫には負担になる。夫の実家はもっと負い目になる。夫側も、嫁の親に感謝すればいいだけなのだが、常識の壁はそんなに薄くはない。「金使いの荒い嫁」とか「夫の稼ぎで満足しない嫁」となるのだ。

 嫁さんの個人的な資質に関係なく、夫の実家側は「嫁をよく思わない」という現象が現れる。それが如実に現れるのが、お正月の「実家への挨拶」だろう。妻も夫も嫁の実家に入り浸るが、夫の実家はないがしろにされるのだ。

 ここに、夫婦の口喧嘩がゴロゴロしていると思う。だから、今の風潮では口喧嘩で「男が勝つのは無理」ではないでしょうか。旧常識と新常識のはざまに、口喧嘩があるのではないでしょうか。

 

 

| - | 16:00 | comments(1) | - |
質問です
 
口喧嘩で勝つためにはどうしたらいいんでしょうか?
| - | 13:15 | comments(1) | - |
「大阪のオバチャンになれ」について


 新入社員教育で「お金、性、学歴」を話題にするなと言われるらしい。「給料、恋人、出世」の話はタブーという事だ。だとすると、同僚や上司の悪口は「感じが悪い」と、言うしかない。

歯切れが悪い悪口になるのは否めないだろう。核心に触れずに、周りの人を「好いたり、嫌ったり」するということだ。

「お土産で持ってきたお菓子、『手作りした』って振る舞うけど、あれ、お母さんが作ってるのよ」「主任、立ち話を週報に書いているんですけど、何なんですかね、あのアピールって」
「福田さんってさぁー、自分の事しか話題がないんだよね」

これが、そっくりそのまま誉め言葉となるケースも出てくる。

「渡辺さんの今日のネイル、ハイビスカスの模様なの。ちょぉー可愛いのぉー」

「佐藤さんて、何でも手作りなんだって、マヨネーズも卵から作るらしいよ」

 遠回しの誹謗を、聞き手が同感してくれるか否かが、仲間意識を作る重要なモメントとなる。誉め言葉の裏の意味である「非難中傷」が感じ取れないと、「空気が読めない」となるのではないかな。「無視される」という刑罰に服さねばならない。

 

 学校のイジメは、どんなに辛かろうとも一年でクラス替えとなるから、しのげるにしても、社会人となっての「無視」はいつまで続くか分からない。だから、同僚と深く関わるリスクを避けようとして当然。当たり障りのない「テレビドラマ」や「ファッション」「ランチ」の話題に終始するのだ。それにお笑い芸人の誹謗も許されている。女装タレントや裸の芸人が、テレビにしょっちゅう顔を出すのも、視聴者のヒンシュクを買う為なのです。

 政治家に罵詈雑言を浴びせても可能なのは、同じ原理が働くからだろう。

 

 それに反して「お金、性、学歴」をタブーとしない人種がいるのも確かだ。僕のような自由業者やフリーターと言われる人たちは、会社組織に属していないから、直接的な物言いが出来る。「お前、給料安いだろう」とか、「高卒だと出世は難しいでしょう」「結婚しないの?」などなど、ザックバランというか、土足で相手を踏みにじる発言が可能なのだ。

 この人種を、総称して「大阪のオバちゃん」と、僕が勝手に名付けたのです。

 

 この「大阪のオバちゃん」の神髄は、「自分を誹謗する」点にあります。自分を「地位の低い」位置に置くとでもいうのかな。へりくだりとは違って、実際に「自分の駄目な部分」を活用するのです。

僕の場合での一番分かりやすいのは「歯を磨かない」ということだろう。現実にも面倒臭いから磨かないだけなのだが、これは不潔であり、下品。誰しもが「偉い」とは思わない。常識人のレベル以下なのだ。

 「緊張すると、にやついて……」とか、「鼻くそをほじるのが楽しみなんです」「僕の話は、訳が分からないと言われます」などなど、自分の欠点を、必ずしも喋るわけではないが、いつでも口にする用意がある。自慢話は「嫌われる」が、駄目振りは「呆れられる」。

 

質問者が書く「パンチパーマで豹柄」の「大阪のオバちゃん」ファッションは、「下品」をアピールしているといえるのです。「上品」が価値となった今現在、あえて「下品」に徹しているのだ。

 

読者の皆さんは、良識的な社会人でしょうから、急に「大阪のオバちゃん」は無理でしょう。ですから、旅先などで「似あわない服を身に付ける」を、お薦めします。一種の変装ですね。下品なファッションを身に付けるということです。そして、買い物を「安くしてよ」と値切ったらどうでしょうか。マジでクレームを付けるのではなく、レストランなどで「不味いな、これ」と、遊びで苦情を言ったらどうでしょうか。パホーマンスにするということです。

お金を使わないで、楽しい思いが出来るのではないでしょうか。値切ったり、苦情を言う時のコツは「相手を笑わせる」ことです。

 

「大阪のオバちゃん」をやれば、自分の世界が広がるのは間違いありません。ただし、相手に笑って貰えなければ「大阪のオバちゃん修業」が足りないということですが、繰り返せば必ず上達します。

こっちは「値切って嬉し」であり、相手は「値切られて嬉し」となれば最高。

 

 

 
| - | 04:01 | comments(0) | - |
質問です
 
以前の語録で「大阪のオバチャンになれ」を読みましたが、どうしたら「大阪のオバチャン」になれますか?

コントだと「パンチパーマで豹柄」が定番ですが、外見じゃない事だけはわかっています...。
| - | 12:31 | comments(0) | - |
「さっさと離婚して子連れで実家に戻ってくるパターンも多くて「結婚」の意味が、よく解りません」について
 

 結婚は何の為かを考えれば、離婚はすぐに分かる事だ。結婚を「愛情」などという子供じみた考えを持つと、全てが解らなくなる。ドラマと現実の区別が付かないといえる。

 「結婚」を「愛情」とするなら、これは歴史の否定になる。「お見合い結婚」は、「愛情」がない故、間違いとなるからだ。僕の一族のほとんどがお見合い結婚。先祖を含めて僕の代まで、恋愛で結婚したのは、僕と次兄に従兄弟のケイコちゃんとミチヨちゃんのみである。が、僕以外は「職場結婚」である。僕は職場結婚も、お見合い結婚の変形だと思っている。

 で、僕の一族には一組の離婚もない。先日、甥が離婚したのが初めてだ。

 

 こんな環境に育つと、「結婚」が「愛情」とは思わない。結婚の喜びは「共に金を貯める事」といえるのではないかな。僕の両親も、子供が寝たあと、ヒソヒソとやっていた。夫婦の「秘め事」は、セックスではなく「貯金」だった。夫婦での喜びも哀しみも、預金通帳の「残高を見る」ことにある気がする。

 

 「金という数字」は人間を孤立させるのは間違いないでしょう。お金の借りっぱなしで、返済を気にしなくていいのは、親子と夫婦だけじゃないだろうか。兄弟となると、一般的には借金の借り倒しは出来ない。夏目漱石や太宰治の書籍などでも、兄への無心は敷居が高いと書かれている。

 

 夫婦の繋がりが「愛情」という、訳の分らぬものとなった点が問題なのだと思う。「どんなに好きあって」も、生活を共にすれば「普通になる」に決まっている。言葉を代えると「どうでもよくなる」というのかな。これは、当たり前の事で、何の不思議もない。

 

 WSなどで、時々、結婚している女性から相談を受けるのは「最近、亭主が求めてこない」という心配事。セックスがないというのだ。「そんなもの、どこだってそうだよ」と、僕は一笑に伏すが、夫婦の性については、普通相談できないだろう。だから、雑誌やテレビ、耳学問に頼るに決まっている。

 結果、セクシャルな雰囲気作りとなるのは明らか。こんな工夫は幼稚で可愛いものだが、後々、このセクシャルな雰囲気が、大問題となるだろうと僕は想像している。
 このセクシャルというのは、相手に対する「親切」の象徴と思って下さいね。

 

 相方が一生懸命だと、それに合わせるのが世の常。例えば、妻がセクシーな寝巻だったりしたら、夫は「いかにもやりたい風」を装うだろう。逆も真。そして、どんどん、セックスという「愛情の行為」が、嘘々しいものに変貌していくのだ。「何で、こんなに相手に合わさなくちゃならんの」という心の声が育つとでもいうのかな。
 妻の張り切った手料理だと、美味しそうに食べなければならんという負担と言い換える事も出来る。

 

 ある日、相手の存在が「嫌悪」の対象となる。この突然は、自分でも説明のつかない「嫌さ」。相手の立ち振る舞いに「自然さ」が見いだせなくて、ギゴチナク感じるとでもいうのかな。

コーヒーを飲んでくつろいでる振りしている。テレビで笑って、自分は楽しいという当てつけ。

結果、「同じ空気も吸いたくない」という、よく聞く台詞に至る。

 

例え、「愛情」で結婚しても、夫婦が貧乏な場合は、すぐに「二人の稼ぎ」が絆の中心となる。「愛情」より「貯金」となるからだ。一方が欠けたら、金銭的に立ち行かない夫婦は仲良くせざるを得ない。いうならば、バブル以前の貧乏な関係となる。これは、伝統的な夫婦の在り方だから、仲が悪いなりに夫婦生活に活路を見出すのです。

 

ごくシンプルにいうなら、夫婦が仲良くしたければ貧乏であれ、ということですね。公務員や一流企業で高給を貰っているなら、妻に「嫌われる」のを認めろ、となるのです。仕事に精をだし、家庭の幸福は諦めろ、ですね。

大金を稼いで、しかも連れ合いに愛されている、というのは「絵に書いた餅」で、テレビドラマに洗脳されてはいけません。

その証拠に、高給を取っている旦那の実家に、正月に顔を出さなかった嫁は多いはずだ。稼ぎのない亭主の実家に嫁は訪れるのです。理由はどうあれ、事実なのは仕方がない。まー、みんな隠すけどね。

 

離婚しようが、しまいが、金があるなら、夫婦の関係は冷え切るのです。この修復は出来ないと思った方がいい。この時点で、養育費が貰えたり、嫁の実家の老夫婦がさびしいと、夫婦は離婚となる。

ですから、質問者が言うように、「実家にゆとりがなかったら、我慢するんでしょうか?」は、正しいと思う。あと、見栄っ張りな夫婦も「我慢する」のでしょうね。

ですから、大多数の夫婦は「我慢している」と思って間違いないでしょう。夫婦が仲良くしたければ、貧乏が不可欠ということです。」




| - | 00:45 | comments(0) | - |
質問です
 
結婚しない人達が増えているそうですが、私の回りでは「出来ちゃった婚」をした人が増えています。うまくいっているカップルもいますが、さっさと離婚して子連れで実家に戻ってくるパターンも多くて「結婚」の意味が、よく解りません。実家にゆとりがなかったら、我慢するんでしょうか?
| - | 15:23 | comments(2) | - |
「成人式の乱痴気騒」と「日本人の奥ゆかしさ」について
 

 父親の子供時代、僕の実家がある北陸の寒村に、電車が施設される話が持ち上がったという。金沢市から山裾にある温泉地までの線路。

 便利になって住民が喜びそうなものだが、農民は反対して土地を売らないという挙に出たとか。理由は「若者が街に出たら、遊びを覚える」からだったそうだ。農村の肉体労働に耐えるには、遊びが入ってこない閉鎖社会としなければならなかったのだろう。大地を耕し、そこに水を張り、苗を一本ずつ植える手作業の繰り返しは、若者には耐えられないと、年配者が知っていたということだ。

 

 歩く以外に、移動の手段がなかった昔は、金沢市よりも遠くに出掛けることなく生涯を終えた老人は少なくなかった。村で過ごし、単調な労働に全ての生涯を費やし、村で死んでいくのが当たり前だったのだ。

いうならば、終身刑で閉じ込められた監獄ようなもの、と想像してくださるとありがたい。顔見知りと一生を共にするわけだから、争い事を避ける為に己の欲望を抑え込む以外にない。だから、それが「奥ゆかしさ」や、「連帯感」と繋がったのじゃないかな。逆にいうなら、個人的な欲望である、若者独特の暴力性は、封印されたというべきだ。

 

 これじゃ若者の「楽しみがない」と、考え出されたのが「祭り」なのです。祭りは、若者の持っていきようのないエネルギーの捌け口。各地に「けんか祭り」という、暴力性がむき出しになった行事が残っているのも珍しくない。夜通し酒を飲む乱痴気騒ぎが、祭りの期間中行われる。火祭りで炎に飛び込み、大木の下敷きになるのも恐れず丸太に乗る。青年は半裸の肉体を誇り、若い女性はセクシャルな暴力性を受け入れる。半狂乱のような「反道徳」が無礼講として解禁になるといえる。

 

 僕の育ったすぐ近所で、神輿を乱暴に扱うという神事があった。神さまが「乱暴な扱いを好む」という名目で、神輿を川に投げ込み、岩に打ちつける。揚句は神輿に火を付ける。まさしく、正気の沙汰とは思えない「祭り」だ。

 火祭りの基本は、神聖な道徳に火を付けて、その炎に興奮した青年たちが荒れ狂うことに意味があったんじゃないだろうか。

 

 そして「祭り」が終わると、また単調な農村の作業に戻る。静かで、奥ゆかしい、つつがなく暮らす連帯感に戻っていくのです。だから「祭り」は、日常生活で我慢したことへのガス抜きの目的があるのです。

 

 いまや「祭り」は、「荒らぶる心」は去勢されたといえるのではないかな。町起こしとして、観光事業となり、公に管理されるものとなったのです。

 それに反乱を起こしたのが、成人式の乱痴気騒ぎ。市長や文化人の講話に野次を飛ばし、床を踏み鳴らし踊り出す。良識のある人たちからのヒンシュクを買う為の行動。成人式終了後も、酔った若者が街頭に出て、蛮行を成すのも、祭りの見物人へのアピールと考えればよく分かるではないか。

 

 低成長となり、格差社会が決定された今は、若者が職場を「監獄」と感じるようになったとしても不思議じゃない。成人式の乱痴気騒ぎも理解できるではないか。酔いの醒めた若者は、翌日からケージに戻り、ニワトリのような業務を「奥ゆかしく」こなすのです。

 、

 多分、祭りの原点も、厳かな祝詞の最中に、境内で火を燃やした若者が騒ぎだしたのかも。神社の長老や神主の鎮圧に、怒りをエスカレートさせた若者が、神輿を勝手に持ち出したという気もする。

 成人式の乱痴気騒ぎは、年ごとに下火になっているようだ。新しい祭りに発展しなかったのを、僕は残念に思う。

 

 質問者は「乱痴気騒ぎ」と「奥ゆかしさ」を、対立と考えているようだが、それは間違いだと思う。現象が真逆のようだが、並列させるべき事柄なのです。お神楽の名人が、お面を外したら地道な農民って、よくあるじゃないですか。

 僕の目指す演劇は、生活人の中からしかドラマは生まれないということであり、その芝居はプロの役者がなすことより、意義があるということなのです。



 

| - | 00:04 | comments(1) | - |
+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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