イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
「しつこい劣等感を退治する方法」についての回答
 

 僕はスイスの演劇大学の「教授」に認定するという書類を貰った。どんな資格か分からないが、年に一度はウイーンに出かけていた。その後、白人の学生が数名、僕のところにやってきた。

 僕はドイツ語はおろか、英語もほとんどできないから、稽古には必ず通訳がつく。

 

 で、日本のWSと同じように円陣を組んでもらい、「何でも喋って下さい」から稽古を始める。無論、言葉が分からないから、彼らが何を言っているかさっぱり分からない。が、僕は指名されて喋った学生に「君には親切心がない」と言い放つ。はるばる東洋からやってきた日本人に「分からせたい」という愛がない趣旨を喋る。

 通訳が僕の言葉を訳し終えると、学生たちは怪訝そうな雰囲気になる。「言語が違うから、分かるわけがない」から、どうしたらいいのかという戸惑いだ。

 

 これがハッタリでも何でもなく、空気が一変するのは、3人目の学生ぐらいから。彼が喋った内容を、僕が分かり、「こう言ったでしょう」と、皆に披露するからだ。何もインチキをしているわけではなく、本当に分かるのです。学生は、一気に僕を信用する。

 

 何もこれは、僕に特別の能力があるのではなく、スイスの学生と各地のワークショッパーズと、即興で芝居を組み立てて、それを舞台に上げるのだが、大抵、見事な芝居となる。無論、外人組はドイツ語で、日本側は日本語。

 日欧混合チームは、結構、複雑なストーリーの芝居を、即興で組み立てるから不思議だ。

 札幌のWSでは、中学生が爺さんを演じ、スイス人が孫の役どころだった。この孫が爺さんの金を持ち出すから、爺さんが困窮するストーリー。「お前が、時計を盗むから、わしゃ時間が分からん」と爺さん。孫役の白人は、謝ったり、不貞腐れたりしていた。孫役の「言い訳」は、万国共通だから、語彙が分からなくてもコミニケーションが出来るのだ。

 

 面白かったのは小倉。NHKのレポーターが、参加してくれた。お洒落で美人で、完璧な標準語。その方とスイス人のやり取りは、さっぱり立ちあがってこない。両者が困惑するのみ。
 が、途中からこの女性、小倉弁を使いだしたのだ。シャンと伸びていた背筋に緩みが出来て、「くよくよしなくて大丈夫よ」と、スイス人の背中をポンポン叩きだした。その瞬間に、初対面の異国人同士で、一つの場面が出来上がった。「試験に落ちた子供と、その母親」のシーン。沈んでいく夕陽を指差して、励ます母親に、元気を取り戻す息子。

 

 我々、庶民には「語学教育」は、劣等感を植え付けるだけ、と僕は思っている。「語学」は地道な勉強をしなければ身につかないという「神話」が真実となっている。そんなもの「駄目な奴」は、駄目に決まっているのだ。「勉強しよう」としたって、脳内が拒絶して、別な事を考えてしまうからだ。

 この「語学コンプレックス」はスイス人学生にもあって、むしろヨーロッパの人たちの方が、他国語に対する劣等感が強い気がした。彼らは、日常で「フランス語は喋れますか?」としょっちゅう問われるからだ。

 だから、彼らこそ「語学のいらないコミニケーション」を面白がる。もっというと、自分を苦しめた「語学の勉強」からの開放が嬉しいのだ。

 ここで、ドイツ語が分からない日本のWSの参加者と一体感が生まれる。「語学なし」で伝え合える事に、湧きだす喜びを感じるのだろう。「劣等感の裏返し」の喜び。

 

 可笑しかったのは、スイス人の女性と、WS参加者が「恋愛もどき」の関係になった事だ。参加者の男性が、スイス人の宿舎である事務所に来て、稽古場の隅で、ずっと「即興劇の稽古」をしていた。中学生のような、初々しさと恥らいに満ちていたから、周りも優しく見守ったものだ。

 「言葉が分からないからこそ」、互いの好意が伝わり合ったんじゃないだろうか。

 

 外国人に演劇を教える度に、僕は通訳者に言う。僕の喋る内容は「日本人でも分かりません」し、それを「噛み砕いて伝えるつもりもありません」。大事なのは「雄三は、何を喋っているのだろう?」と思う事が大切であり、「理解より、理解不能の関係が大事」ということを、学生に通訳して貰う。この段階で、日本語にもなっていないから、翻訳が不可能なのだ。

「質問は受け付けません」とも言う。

 

 僕は「語学のコンプレックス」を抱えて、外国でオドオドしている人を見ると、可哀そうに思う。僕は「アイ、アム、コーヒー」で過ごす事にしている。日常の不便さは、些細なことだらけで、どうでもいいことばかりと、僕は思っています。

 

 コンプレックスを大切にしている人もいるので、その人を、僕は尊重するようにしています。皮肉でも何でもなく、例えば「赤面症」のまま、舞台に上がり、立ち往生してくれれば、素敵だと思うからです。

 せんだっての、神戸のWS発表会では、劣等感が、観客の「優しい笑い」に包まれました。

「劣等感」は、そのままでもいいし、取り外したければ「止めればいいじゃないか」ということです。まぁー、僕に言わしたら「劣等感」って、趣味の一種ぐらいだろう。





 

 

| - | 01:56 | comments(0) | - |
劣等感についての質問
 
しつこい劣等感を退治する方法はありますか?
| - | 18:23 | comments(0) | - |
「雄三さんの幸福とは具体的に何ですか?」の回答
 

 別荘に籠り、鳥の声で、「あっ、朝になったんだ」と、一晩かけて書いた原稿を読みかえす。昼過ぎまで眠り、山道を散歩して、夕方から親しい仲間と酒を飲む。少し眠り、また執筆に取り掛かる。

 そんな生活を理想と、僕は考えていた。

 明らかに、大江健三郎の小説の主人公の生活スタイルだ。長江古義人という主人公は、そんな生活をしている。

 

 金沢の山裾の竹藪に、我々の「アトリエ」がある。金沢の市街が一望できる。そこに僕は、長逗留する事が多い。理想が叶った生活をしているといえる。

 一番の「満ち足りた時間」は、雪が降って外に出られなくなった時に、薪ストーブを焚いて過ごす時かな。炎を見ていると飽きないし、柔らかい暖かさがある。玄関の引き戸がガラガラと開く音がして、世話してくれる古賀さんが、食事を作りに来てくれる夕刻時。

「まだまだ、雪は降りますかね?」という僕に、「一晩中降るんじゃないかな」と古賀さんが雪を払う。台所から調理の音がし始める。「タヌキが来たよ」と僕が声を掛けると、古賀さんが残飯を持って現れる。4匹の子ダヌキが食べるのを見守る親タヌキ。僕と古賀さんも子ダヌキがガッつくのを見る。暮れかかった雪降る水墨画の中の野生動物は美しい。

 

 深夜、お化けの気配がある。風もないのに竹藪が艶めかしくざわめく。そして三味線の音が微かに聞こえてくる。雪が積もって、地表が防音装置のようになると、北陸本線の列車の音が、すぐ近くに聞こえてくる。

 僕は、一日中布団から出ない。上半身を起こした位置に置いた縁台をテーブル代わりにして、執筆も食事も、そこで行う。疲れると、上半身を倒し、頭を枕に載せる。そして眠る。

起きると、上半身を起こし、分厚い本を読み、メモを取る。そして、発表する当てのない原稿を書く。

 

訪ねて来る人がいないから、一日中ジャージーで過ごす。顔も洗わないし、歯も磨かない。3日一度の銭湯で、番台のオバさんと、二言、三言、言葉を交わす程度。古賀さんに世話してもらうようになって、僕の言葉数も増えたかな。

16年に渡って、僕は時間の許す限り、隠遁生活をしている。短くても一週間。長いと一カ月。

 

僕は自分を「両生類」だと思う事がある。地上生活と水中生活。どちらが「満ち足りてる」とはいえない。

 

30歳から40歳までの建築業の時代、僕はほぼ一冊の本も読まなかった。早朝に家を出て、ドロドロになった体を風呂に沈め、一本のビールを飲み切らない内に眠気に襲われていた。それでも、休みの日、芝居の稽古をしていたから、不満は感じなかったと思う。成功の当てのない演劇の練習。建築業の現場では、誰も僕が「芝居をしている」のを知らなかった。

 

小学校の一年生の時に、僕は初めて海を見た。家族で海水浴に出かけたのだ。行楽客で満杯の乗り合いバスが、炎天下の砂丘の中をノロノロ走って行くと、正面に真っ青な海と、真っ直ぐの水平線が現れたのだ。あの時の、あの心の高なりを55年経った今でもはっきり覚えている。僕はバスの中で、気持が駆け出していた。

僕は、この「乗り物の中で駆け出す」を、幸福の現れと思っている。

 

 高校3年の時に、初めて「戯曲」を書いたのだが、その時に執筆しながら、この「地団太現象」が起きた。無論、勉強机に向かっていたのだが、ペンを動かす速度より、脳から出て来るストーリーが早過ぎて、立ち上がり足踏みしながら、書いていた気がする。書き上げた原稿用紙は部屋いっぱいに散らかり、ほとんどの文字は判別不能だった。

 

小松空港から、金沢のアトリエに向かうバスの中で、僕の「地団太現象」が起きた。建築業時代、「稽古場に向かう」車の中でも足踏みしながら運転した記憶がある。

 

多分これは、「恋愛時」における、「胸の高鳴り」に近いのだろうとは思う。待ち合わせの場所に、一瞬でも早く着きたいと焦る気持ち。

気慣れないお洒落でめかしこんだ女性が、ハイヒールで走っているのを見ると、デートに急いでいるのだろうと思う。そして彼女は「幸福」なのだろうと思う。

 

「たどり着かない、もどかしさ」の中に「幸福」があるのではないだろうか。そして到達後は「満ち足りた日常」となる気がする。自分で把握できないのが「幸福の瞬間」だと、僕は思っています。





 

| - | 05:30 | comments(1) | - |
「幸福」についての質問
 
雄三さんの幸福とは具体的に何ですか?
僕は自分の自由と思っています。
| - | 16:22 | comments(1) | - |
「小沢さんの裁判って結局なんだったんですか?」の回答
 
 政治家の「お金の手に入れ方」が、大きく変わったのです。田中角栄、金丸信の時代は、「公共投資」という道路や橋、公共施設を作ることで、政治家の「天の声」が有効だった。建設業界から政党に寄付があったり、企業献金として有力政治家への入金があった。パーティー券で、政治家個人が金を集めたりもした。当然、賄賂・裏金というのもあった。

 

零細ながら、僕も建築業の末端にいたから、少なからず「裏金」の実体は知っている。
 零細なサッシ屋の我々も、政治家の口利きで、公共の工事に「横入り」することがあった。工事を請け負っている大手ゼネコンも手慣れたもので、書類上、うちがサッシを請け負い、既存の下請けに「丸投げする」という形を取るだけなのだ。業界では、政治家の「口利き料」も、我々の「横やり料」も、相場として決まっていた。当たり前の事として、横行していたということだ。

 

が、金権政治が問題となり、政治家個人が企業から献金を受けるのが厳しくなった。法の裏をかいくぐる手法はよくないというので、「政党助成金」が、政治家の数に応じて政党に入るようになったのだ。

この助成金を、企業献金に代えて、政治活動に使うように法改正。当然、寄付や献金は厳しく管理される事になった。政治家の「入金」が厳しくチェックされるようになったということだ。
 微小な額まで寄付金は、名前公表の義務が課せられた。鳩山元首相の「母親からの献金」が、「坊ちゃんの小遣い」として、新聞を賑わしたのを覚えているでしょう。それまでは、政治家が「家の金を持ち出す」のは、美徳とされたのです。

 

この「政党助成金」が、一般の助成金と違うのは、報告の義務がない点なのだ。一般の助成金では「飲食」が認められることはないが、それでは「政治活動が出来ない」と思ったのかどうかは知らないが、議員たちは自分たちの都合のいいように「政党助成金」の法律を決めたんだと思う。

 

政党幹部は「議員数に応じて入る金」を、必ずしも「議員個人に配らなくてもいい」のだ。この金を差配するのが「幹事長」。だから幹事長は、膨大な金額を握る事になる。この金を、領収書なしで自由に動かせるのだ。

 

だから小沢一郎が「自由党を解党した」折、膨大な金が残ったのは事実。保守党を作り「自由党を出た扇千景議員」には、一文の政党助成金も渡っていない。そして、自由党が「民主党」と合併となったが、その時に持参金として、菅直人代表にその金を差し出しているわけではない。

「政党助成金」で「使わなかった分」は、国庫に返納するように決められているが、小沢一郎は返金していない。解党時の幹事長藤井裕久は、「15億円」の金があったと文芸春秋に書いている。

その金は「どこに行ったか?」というと、小沢一郎の「陸山会」に寄付されているのだ。

 

だから今回の「小沢一郎裁判」の本質は、「政党助成金の私的流用疑惑」にあると、僕は思っている。検察の体質は古いから、小沢一郎の「土地購入代金」を、昔ながらの「賄賂」の設定をしたのだ。取り調べる検事は、昔ながら方法が骨の髄まで染み込んでいると思われる。法律というのは「過去の判例」が重要視されるからだ。何年間も六法全書を勉強するというのは、自ら進んで「時代遅れ」になるといえる。まー、それが「秩序」だろうけどね。
 一方の小沢一郎被告の、購入資金の4億円の原資の出どころの発言が、コロコロ代わるのも、「政党助成金」を隠す為なのだろう。

 

小沢一郎が国会での証人喚問に応じないのも、「政党助成金」の使われ方の「勝手放題」が明るみに出たら、世論が「びっくりする」からだろう。

政治には「表目に出したくない金」があるに決まっている。政権交代した折、「官房機密費」がゼロ円だったと、後任の民主党議員が書いていた。政府の金が、自民党の前官房長官に「すべて持ち去られていた」のだ。

だから「小沢一郎の国会での釈明」は、政党間では「行われない前提」があるのだと思う。自民党の側からも「臭い物」がでてくる可能性がある。八百長の喧嘩をしていると、僕は思う。

 

この「政党助成金制度」を作ったのは、小沢一郎なのです。賄賂、利権が横行した金権体質の「古い政治」に比べれば、「助成金制度の政治」は、「よりクリーンになった」のは事実だ。

昔の自民党の総裁選は、公職選挙法と無関係だから、現金が飛び交う選挙だったのです。福田威夫と争った田中角栄は、一年生議員に3000万円を配ったと、あっけらかんと書かれていた。今の金額に直すと8000万円くらいかな。

たから、田中角栄は「配る金を手に入れる為」に、さまざまな「裏ルート」を使ったに決まっている。

 

金を配った議員に支えられて、トップに上り詰めた「昔の首相」は、そう簡単に「首相を止めなかった」のは当たり前。

今の首相は、金には関係なく「人気投票」のようなものだから、国会議員の気分が変われば「首相交代」となるのは当然。金をくれないトップの言うう事を聞かないからだ。国会議員が低賃金のフリターになったってことだ。
 だから、僕は首相が変わる度に、「日本の政治がクリーンになった」と手を叩いて喜んでいる。








| - | 01:53 | comments(2) | - |
小沢裁判の質問
 
小沢さんの裁判って結局なんだったんですか?
「秘書が」「秘書が」で無罪…意味わかんなーい。
| - | 16:52 | comments(1) | - |
「後悔の原因は目先のことに捕われることですか?」の回答
 

 昔、日本がアメリカと戦争をして、完膚なきまで打ちのめされた。日本全土が「津波の跡」のようになった。原爆が落とされて、放射能に悩まされたのです。東日本震災のような物が、何カ月も続いたと思えば、戦争の悲惨さが垣間見られるんじゃないかな。

 じかも、戦争は「天災じゃなかった」から、止めようと思えば止められたのです。これは、誰がどう考えたって「後悔する」よね。日本国は、なぜ後で「後悔するような事」をしたんだろうか。

 

 当時、軍艦や、飛行機、戦車を動かす石油の、ほとんどをアメリカから輸入していた。鉄砲の弾を作る「鉄類」も、アメリカから輸入していたのです。

 だから、他人の褌で戦うような物で、まともに考えたら「戦争が出来るわけがない」のだ。素人ならいざ知らず、専門家は「戦争が出来ない事」を熟知していたはずだ。開戦すれば、石油が尽き、弾や食料が底をつくのが分かっていて、そして日本の現実は、そっくり、そのまま、その通りになった。何百万の日本人が死んだのだ。

 

 アメリカに移民した日本人が迫害されたという遠因があり、日本民衆がアメリカに腹を立てていたのは事実だが、軍事や経済の専門家が「開戦を決意」することなどありえない。ヒットラーのように独裁者が冷静さを失って開戦したのなら、分からなくもない。が、昭和天皇は開戦に懐疑の立場だったのだ。最後の御前会議で、昭和天皇は「明治天皇の平和な和歌」を引用している。昭和天皇ができた最大の反対表明。

 

 実は、「開戦に至った」のは、「誰しもが戦争が出来ない」という暗黙の了解があったからこそ、「戦争が起こった」という逆説が真実ではないかと、僕は思っている。

 

 海軍と陸軍が、対立していたのは事実で、膨大な国家予算を使っていたのは海軍。軍艦を建造していたからだ。一方の陸軍は、低予算に甘んじなければならかったが、兵隊の数は、海軍とは比較にならぬほど多かった。俗っぽくいうと陸軍は貧乏くじを引いていると「ひがみ」があったのです。肉弾戦をするのは我々という思いが、陸軍にあって当然。

 

 海軍は「これでは戦争が出来ない」という名目で、軍事予算を増やしていった。陸軍は「それが横暴」に見えた気がする。だって、海軍にしろ、陸軍にしろ、「戦争をするつもりがない(できない)」のが分かっていたからだ。だから陸軍は、どこまでも「本当に戦争する気がある」と誇示し続けた。海軍が「戦争できない」というのを、腰ぬけと罵ったのだ。この海軍を罵った急先鋒が東条英機だったのだ。

 

 当時の日本政府は「戦争など出来っこない」と重々分かっていたが、そんな事を言うたびに政府は潰されてきた。で、「戦争するぞ!」と声高に叫んでいた東条英機を首相に指名したのだ。日本政府を背負うとなれば、無責任に「戦争するぞ!」と言えなくなるだろうというのが、元老たちの考えの結果だったのだ。

無論、東条英機も腹の底では「戦争が出来ない」のは百も承知。が、首相になったからといって、今までの立場を覆す訳にはいかない。

 

 で、東条が考えたのは「鉄の材料」の「陸軍」と「海軍」との割り振り。「鉄のほとんど」を独占するような「海軍案」を提出させた。「陸軍」が絶対に了承できない案だ。

 東条の筋書きでは、海軍が「戦争する為の無理難題」を持ち出し、当然、陸軍が反対し、思うよな「鉄」が入手出来ない海軍は「やっぱり戦争できない」と、開戦を避けるだろうと目論んだのだ。

 ここまでは、僕は正しいと思う。これが交渉だ。

 

 が、「陸軍が鉄を寄越さない」から「戦争が出来ない」と、「陸軍のせい」にするのを知った、陸軍幹部は「海軍の鉄のほぼ独占」を、認めてしまったのだ。海軍の要求を飲まない「陸軍が悪い」となるのを避けたのです。
 ここに海軍の「開戦しない理由」が無くなってしまったのだ。陸軍と海軍が、互いに「自分は戦争できない」と言わせる意地の張り合いの結果、両者が予期せぬ「開戦」となったのではないか、と僕は思う。自分たちが決めた「開戦の決定」に、驚いたのは「負けるのを知っていた」本人たちではないだろうか。

 東条英機は「開戦の決定」を、天皇に上奏の折、男泣きに泣いて、「開戦が避けられなかった」という馬鹿な選択を詫びたという。

 

 質問者は、「後悔は目先に捕らわれる」とあるが、全く、その通りだと思う。

 

 身近な例でいうと「離婚」だろう。相方が「見るのもいや」と思う現象は、長い夫婦生活では当然起こる。「離婚する」と叫んだり、「離婚届」に照明捺印するケースも少なくないだろう。

 まー普通に考えれば、別居して、粛々と離婚の手続きに入ればいいようなものだが、相方に「腹が立つ」「苛立つ」をぶつけたい欲望が勝る事がある。

 相手を懲らしめる為に「離婚を持ち出す」夫婦も少なくないだろう。互いに「夫婦別れ」で、他人となる事を望んではいないのを考慮したらいいのに、と思う。

互いに「離婚」の実感がない場合に限って「離婚を振り回す」気がする。海軍が反対するから、「本気で戦争する」と叫ぶ陸軍のようなものだ。遊んでいるような海軍の人を、叩きのめしたいだけ。

 

 そうすると「離婚」という「実行するつもりのない言葉」が、独り歩きする。離婚は、二所帯となるわけだから、夫婦ともども収入が半減となる。ランクを落としたアパート暮らしとなる夫と、低賃金のパート仕事に疲れる妻、というのが「離婚の実体」なのだ。

 その時になって「後悔」しても、「離婚という言葉」の独り歩きとは思えないだろう。

 

 引っ込みのつかなくなった「開戦という言葉」で、結果、何百万の人が死んだように、「離婚という言葉」で、多くの「心の温かさ」は消え、「貧しい暮らしに振り回される」のは避けられない。
 目の前の人を「キャフンと言わせたい」は「後悔」に繋がると、僕は思う。





 

 

| - | 01:54 | comments(2) | - |
質問です
 後悔の原因は目先のことに捕われることですか?
| - | 18:02 | comments(0) | - |
「このブログの法則」についての回答
 

 身体文学と名付けて、「素人が一週間で小説を書く」というWSを8年に渡って実施していた時期がある。法則を割り出す為に、大量の小説を読んだ。その取っ掛かりは「村上春樹」。当時のベストセラーだ。

 例えば村上春樹の法則。

1、   恋人や妻の失踪。

この消え方は突然でなければならない。普段通りの平和な朝食であったが、親しき人は帰ってこない。微かな痕跡で、主人公は失踪を知る。学校や勤め先で、退学届や退職願が一週間前に出されていたのが分かる。準備された失踪なのだ。

主人公は失踪者を捜しに出かけない。パスタを凝って作る。ビールの銘柄のウンチクを述べる。

2、   暴力的な力で旅に出る。

黒服の男たちといった、制服集団がやって来て、奇妙な命令を主人公に下す。「星のマークがある羊」を捜せというような事。軍隊を想起させる暴力によって、心地よい場所を出されるイメージ。

3、   旅先で奇妙な人物に出会う。

主人公の「師匠」に当たる人物。で、主人公は現実ではない「異次元に迷い込む」。そして「異次元の世界」の悪玉との対決を強いられる。

4、   旅を終えて自宅に返ると、失踪者が戻った気配が感じられる。

 

 これはストーリーの法則だが、モチーフにも法則がある。
  「空っぽ」が繰り返し出て来る。「閉館したホテルの旧館」「枯れた野井戸」「人のいない車両」「廃線になったローカル駅」などなど。

 「空っぽ」は主人公の心象風景なのだ。主人公の気持は書かず「空っぽの物や風景」に投影している。

 

 身体文学は、ジャンル別に行った。「アンチロマン」「ベストセラー」「時代小説」「恋愛小説」「昔話」「犯罪小説」「児童文学」。

 ジャンル別の法則を、無理にでも見つけて、部分部分を書いておいて、一気に組み立てる手法だ。プレハブの建物の考え方。それぞれが書いた部分を持ち寄り、全体を完成させる。無論出来上がりはチャッチいが、素人には「書けた」という自信で、自分を取り戻す事が多い気がした。他人との共同作業に「喜び」を再発見するということかな。

 

 僕は「小説を書くのが大変」という迷信を打ち砕きたいのだ。「村上春樹もどき」は誰でも書けるという、ススメなのです。小説をオモチャにして、皆で遊ぼうという感じ。「ありがたいもの」とするのは、テレビも映画もなかった時代の考え方なのだ。

  

 フリースクールが始まって、子供達が事務所に居ると、ついつい子供に構い、それが面白くなってくる。生活が面白い事と、創作は反比例の関係にあるのではなかろうか。特に書く行為は、金沢に行って、する事がないと、力が入る。一日中、ブログの文章をひねくりまわす。そうしないと「パチンコ欲」が湧いて来るからだ。

 僕のブログを「法則を見つける」まで読んで下さった質問者に感謝するのみです。




 

 

| - | 06:06 | comments(0) | - |
「ブログの書き方」についての質問
 
雄三さんのブログの書き方に、かなりシンプルな法則を見つけました。

私は、間違ってますか。
| - | 20:15 | comments(1) | - |
+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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