イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
12月16日は雄三49日フェスです
「お芝居が終わった後のように拍手をお願いします。」最前列から振り向いて笑顔で清子さんが言った。「森田雄三、千秋楽です。ありがとうございました。」と、ゼンが言うと、見たことのないカラフルな落書きの棺が火葬炉に向かう。「雄三さん、立派だったよ。」清子さんが叫ぶ。火葬場に大きな拍手が鳴り続く。
焼かれるまでの時間は、休憩室でお茶を飲んで過ごす。かけつけた親族は喪服で入口付近に座り。奥半分は、フェススタイル普段着チームが座る。芥川賞作家で勝手に兄弟子と想定してなれなれしくさせてもらっている山下澄人さんと同じテーブルに座る。
「俺最近雄三さんのブログ読み直してんねんけど、タエシマくん小説書いてんねんやろ。」「最近まったく書いてなくて、止まってます。」「小説やろうよ。いけんで。現代の破滅型小説家(笑)。」雄三さんに送った3回目の文章の返信は2017年1月27日4:19。『感想は「雄三語録ブログ」に書きました。読んでください。』
雄三ブログを少し読み直ししてみると、「タエシマくんが小説を書き始めて」というようなことが書いてあるブログが4回ぐらいあった。「現代の破滅型小説家」は、いつだっけと調べると、2016年8月4日だった。ずいぶん前から雄三さんと小説のやりとりしてたんだ、3回以上ダメ出しもらってたんだな。雄三ブログで、「タエシマ君が書いた小説なんて面白がる人は居ないだろうから、雄三が面白がればいいのだ。」と書いてあって、雄三さんからダメ出しがもらえない状況になって、雄三さんくらいしかこんな文章面白がらないだろうと、携帯のメモに書きためた文章は、ほったらかしていた。
「アンセやオギタにも言ったんやけど、みんなで小説書いてあーだこーだ言う小説会やろうぜって。一万字書いて送ってこいって。少し書いたぐらいやとわからへんけど一万字くらい書くとうっすらとこういうことが書きたいんかなあって見えてくるもんがあるねん。それにみんなでアイデア出しあって仕上げて新人賞とったらええやん。」「1万字書けたら送っていいんですか?」「えーよ。送ってきて。」
火葬場からのタクシーも山下さんと同乗した。「皮算用って、ちゃんとやればなるからな。みんな新人賞くらいとれるって。みんなでとってや、最後に種明かししようぜ。実はみんな雄三さんとこで書いてましたって。」「でも実は賞とるとか本出すとかが大事じゃなくて、創作を続けていくことが一番大事やねん。」「ひとのためになんか考えてたら自分にかえってくるやんな。」「清子さん盛り上げようや。」
携帯のメモにうちこんだ文章と久しぶりに対面。字数を数えると一万字を超えている。「くらえ!」と、ミサイルの発射ボタンを押すみたいに山下さんに文章を送信する。
すかさず返信がくる。「おもしろい。とてもおもしろい。・・・。」新人賞のとりかた。推してくれる編集者の心理。そして、読み手としての率直な感想、ダメ出しは、言いながらも揺れる感情や、言いながら瞬間に思いついたことなどもひろいあげながら綴られている。あ、このやりとりそのものがなんかやわ。まだまだ自分も書けてもいないのに、みんな山下さんに小説書いて送ったらえーやんって。全国のショッパーズがどんどん小説家なって、雄三さんの身体文学「誰でも小説が書ける。」が証明されたらえーねん。と、妄想爆裂。
山下さんが楽ちん堂カフェに来て稽古が始まる。あんせ、おぎ、たえがそれぞれ書いた小説を朗読する。
あんせの朗読は、あんせの居たかつて。文字が音になり、空間や人肌を感じながらあんせのかつてと同居する30分間。
おぎの朗読は、日常だったはずなのに、妙に距離感の近すぎる人物があらわれてどこえやらに連れていかれそうな感じ。
たえの朗読は、やはりかつてのたえを旅する。こんなくそったれな時間は、文章にでもしておこうと、ちまちま書きためた現実の断片の羅列。でも読みだすと、それぞれの音は、決まっていることがわかる。もし絶対音感があれば楽譜にできる感じ。読み終わると、それぞれ3人の文章がはっきり違うことがわかるし、その違いがそれぞれに心地よい。「私も書いたんだ。読んでいい?」その場に居たヒトミも自分の一万字を読み出した。ヒトミの職場の先輩、同僚、後輩がヒトミに語りかける。こんなことでヒトミは、仕事の手を止められてるんだ。ループ。聞いてるみんながクスクス笑いだす。山下さん清子さんがアイデアを言う。飲み食いしながら更に語り合う。
「芝居やろうぜ。とりあえず3人並んで座れや。」
「ベケットが観たら絶対おもしろがるって。」
「段取りなんか決まってないけど、今のは絶対お前がなんとかするとこやろう。」
「そんなアホなこと普段絶対してへんやん。わかるよな。さぶいわ。やめてや。」
「サッカーやらなあかんけどうまくいかへんから野球してみるって稽古してたんやろ、いけるってなったらサッカーに戻せや。自分らでやってや。」
「今これみんなに観せる意味絶対あるから、お金ももらって、お客さんも集めよう。雄三フェス再びや。」
あれ?全然違う稽古してるつもりなのに、書いてると雄三さんが奥に見えるな。
今日で三日連続楽ちん堂カフェに稽古に来る芥川賞作家。「俺、芥川賞とってて良かった。他に何の使いみちもないから宣伝でもなんでも使って使って。」と山下さん。
稽古見学もありです。いつでもどうぞ。
12月16日(日) 17時開演
森田雄三49日フェス
アンコールライブ
「楽園」
演出 山下澄人(演出じゃないよ見る人代表)
出演 あんせ
        おぎ
        たえ
料金 3000円(ワンドリンク、おつまみ付き)
場所 楽ちん堂カフェ
| - | 19:22 | comments(0) | - |
雄三フェスの感謝状

1029日未明に永眠いたしました森田雄三は、危篤状態の3週間も亡くなってからのお別れフェスのときも、沢山の方々から声をかけて頂き手を握り、頬を撫で髪をとき、雄三へのご好意を降り注いで頂きました。

幸せに旅立てたこと間違いありません。

棺に寄せられた皆さまの色とりどりの絵、文字に包まれて、雄三は「おーっ、じゃあ行ってくるわ」と言いそうな表情で、長男の「森田雄三、千秋楽ありがとうございました。」の御礼とスタッフの「ヨーソロウ」の掛け声で燃える火の中に入って行きました。


2012年にイッセー尾形のステージの演出から離れてからの雄三は、残るスタッフと共に、彼の叡智と人柄を以前にも増して発揮する道のりでした。
NPOららら、楽ちん堂カフェ、高齢者グループせめてしゅういち、その3事業のどれもが、雄三の魅力的な存在感を要に、いつ沈んでもおかしくない泥舟でありながら、なんとも笑いの絶えない心豊かな運営になったのです。
思えば、昨年の29日に小脳溢血で倒れ43日からのリハビリ入院727日退院したその日に昏睡状態になり翌日28日硬膜下血腫の開頭手術ふたたび、この再入院で清子は居宅介護を固く決心しました。920日からのふたりの生活は驚きの連続で慌てるばかりの初体験も今は思い出すだけで微笑む味わいです。

亡くなるまでの11ヶ月は、雄三と清子でなければ過ごせなかっただろう、小さな希望を重ねて互いの存在に感謝して独特なユーモアを見だした日々でした。
100CCも飲めなかった雄三と、ひと匙ひと匙にねがいを込めて目を見つめ合い飲食を獲得した最初の3ヶ月からみるみる生命力に満ちて言葉が広がって、ベットから自力で降り始めた時には、手を叩いて喜んだけれど、これはこれで大変ねうんよろしくとやっぱりこれは楽しい苦労だよと納得したものでした。
こうして居なくなってしまうと、健康で元気だった頃の雄三よりも、ずっとこのふたりの蜜月が懐かしい、きっといつまでも何度でも思い起こすことでしょう。
そして一昨日、新開地KAVOC1027日の映像を見直しましたら、雄三は何度も皆さんに手を振っていましたね。そしてその翌々日の深夜本当に見事に眠るように息を引き取りました。

この雄三語録ブログは、彼が倒れるその日まで10年ほぼ毎日書いていました。

閉じないで、時々開いていただけたなら、雄三は幸せでしょう。

雄三の独特な人生に花を添えて下さいました。心より御礼申し上げます。
森田清子拝

| - | 00:12 | comments(4) | - |
雄三さんの懐かしい音声動画をアップしました。

雄三さんが2008年に収録したラジオ「ラジオエッセイ」。人生の半分以上の時間を費やし作り続けたイッセー尾形の一人芝居とは何か、全国3000人のショッパーズと毎回ガチンコ勝負だった森田雄三ワークショップって何か・・・ワークショップに参加して泣いたり笑ったり腹立ったり、心がちゃぐちゃわさわさしながら確かに何か拾ったけれどこれは一体何?と怒涛の芝居作りの4日間を「あー、なるほど」とひも解いてくれる言葉の数々。

2分間のラジオを25本つなげた音声の前に、雄三さんの連れ合い清子さんの前説があります。ぜひ動画を開いてみて下さい。

せめてしゅういちラジオ班より。

| - | 07:13 | comments(0) | - |
森田雄三&清子のオモシロ介護生活

雄三&清子のオモシロ介護生活その13アップしました。

せめてしゅういち

| - | 22:33 | comments(0) | - |
雄三は今

介護日記を収録しました。雄三は921日退院1周年記念日の翌日、急性肺炎で救急搬送されました。

あああと、何でこうなるのと、あれだけ肺炎に気をつけてと言われていたのにと、自分を責めずにはいられませんが、でも一年の深夜のおしめ替えや一時間半の食事介助を昼間3回をヘルパー頼まずやってきたこの身にとってはしばしのささやかな休憩と考えて、

気を取り直すことにしました。

窒息死寸前をまさに九死に一生を得た本人はもう3日もすると、帰ろ帰ろ早く帰してと付き添ってる間ずっと言います。

そうね早く帰りましょうね、だから早く治しましょうねと念仏のように語りかけるしかありません。

なんだか良い作品が生まれそうです。森田清子拝

| - | 21:52 | comments(2) | - |
森田雄三&清子のオモシロ介護生活

森田雄三&清子のオモシロ介護生活その12をアップしました。

せめてしゅういち

| - | 08:45 | comments(0) | - |
森田雄三&清子のオモシロ介護生活

森田雄三&清子のオモシロ介護生活その11アップしました。

せめてしゅういち

| - | 09:17 | comments(0) | - |
森田雄三&清子のオモシロ介護生活

森田雄三&清子のオモシロ介護生活その10をアップしました。

せめてしゅういち

| - | 09:42 | comments(0) | - |
森田雄三&清子のオモシロ介護生活

森田雄三&清子のオモシロ介護生活アップしました。

せめてしゅういち

| - | 11:14 | comments(0) | - |
今日で退院一年目です

今日で退院1年目です。

1年前は、殆ど一日中眠っていてたまに目を開けても何処を見ているのか、焦点の定まらない雄三でした。

それが六日目には氷をガリガリ食べて、一ヶ月目にはフレンチトーストやハンバーグをもりもり食べて、ベッドからはずるずると降りて、驚きの回復を見せました。

まだ言葉はささやくように「行こう行こうどこかに」と言ったりするくらいですが、こちらの問いかけには、はいいいえで答えます。

 7年間学童で来ている忠良も中学生になり、以前とは違う雄三になにひとつ変わらず接してくれると雄三の表情が豊かになります、

乱暴者の忠良が近頃穏やかになり始めたのも2人の不思議な絆のおかげかもしれません。

「雄三さん俺のこと15才から面倒見てくれてありがとう」と33才になった青年が度々訪ねてくれると、彼の当時の姿に忠良が重なります。

楽ちん堂に集まる、様々な方々に励まされて今日の1年目を感慨深く迎えました。

 介護日記をこれからも聞いて下さいな。

雄三の連れ合いの清子拝

| - | 19:49 | comments(1) | - |
+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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