イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
<< 「文字が読めなくて詰まるよ」うになった。 | main | 「一人芝居を創る」について >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
「新しい小説」というか、我々の現実を反映した小説について。

 神戸WS参加者の松尾君の小説の冒頭。

 

 8月上旬の日差しは暑かった。気温が何度あるのか? 異常気象の影響が関係しているのか? 南極や北極の氷がどれくらい溶けているのか? そんなことは関係なく暑かった。

 西さんはオールバックの前髪が垂れ下がるほど汗をかいていた。65歳のおっさんに可愛いという表現は失礼なのかもしれないが、今は可愛いという表現でいいだろう。

 蝉は鳴いていなかった。 風も吹いていなかった。

 緩やかな下り坂の先に門があった。帰りは緩やかな登り坂を行かねばならないのは当然のことなのだった。

 「さっきの担当者は事前に門を閉めて下さい。なんて言ってませんでしたよね?」

とぼくが思っていることを西さんには話さなかった。

 言ったところでなにかが変わる訳でもなかったのだから。

 蝉は鳴いていなかった。 風も吹いてはいなかった。

 自分の影を見ながら歩くことは久しぶりだった。影がこんなにも黒々と輪郭を表すものなのかと驚きよりも、150センチ前後の西さんの影はやはり小さかった。

 西さんは自分のことをリトルジャパニーズと呼んでいた、という話を先輩から聞いたことがあった、どうやら、西さんは自分の身長のことを持ちネタのようにスナックなどで話をしていたらしい。ぼくは西さんがそんな話をしている姿を見たことも聞いたことはなかった。

 

 主人公から見える描写から感慨が書かれているから、読者の僕に「人間的なもの」を感じさせない文章なのだ。この小説の主人公は、一日中炎天下の巨大な駐車場の「白線の補修」をするのが仕事だ。だから、この小説は「時間をやり過ごす」だけの内容といえる。喜怒哀楽がない時間を書こうとしているのだ。低賃金の肉体労労務者の時間の過ごし方ともいえるし、記憶から消す時間ともいえる。

 我々の労働のほとんどは、記憶から消される時間の使い方がほとんどではあるまいか。

 

 一頃、僕は「主観が入らない風景描写」を、書いたり、集めたりしていた。こんな中の記憶に残っている断片。

「見渡す限りりの幹は重力に逆らって、真っ直ぐ天空に延びている。幹に絡まった蔦は、力を抜いて垂直に地球の中心に向かって垂れている。根は岩にぶつかり、曲がりくねって岩にしがみついている」

 小説は「人間中心」になるのは致し方がないとしても、人間存在以前に「風景はあった」のだ。こんな理屈から、僕は人間の「考え・感じ」はちっぽけに過ぎず、「人間を超える世界」を、真の創作だと思ったものだ。

 一番簡単に説明するなら「自分の死」だけどね。大方の人は「自分の死後の世界」を想像するだろう。「死の宣告を受けて感じたこと」と書くと、「ぬけぬけした嘘」になるのを知っている。「死」はゆっくり、じんわり、時間をかけて、ふいに感じるものだ。しかし、僕が「人間の存在を超える世界」と考えるようになったのは、僕の「癌体験」と関係しているだろうとは思う。その「片足切断」の前の10年間は建設労務者をやっていたから。ある日世界は一変した。病気で手術する直前まで、新築マンションに鉄のドアを取り付ける為に、一枚一枚を背中に担いで、仮設の鉄階段を運び上げていた。蟻の子のように地べたを這いずり回っていたということだ。

 で、退院後に「イッセー尾形の一人芝居」が馬鹿当たりした。「現実のこっち側」じゃない世界を体験せざるを得なかったってことだ。

 去年の暮れに、神戸WSのタエシマ君が、小説を書く気になって、僕のところにやってきた。彼は中学生と小学生の父親であり、ハードなセールスの仕事をしている。そのタエシマ君は終電で寝過ごし終着駅で起こされるれ、始発まで待つしかないと言う。それも多いと週に3度もだと。ファミレスで時間を過ごしたり、ベンチで眠ったりするそうだ。これが何年か続いている。冗談半分だったろうけど、深夜「駅から駅を歩く」のを小説にしたいと言ったのだ。

 日常化した「電車で乗り過ごす」をどうやって文章化したらいいのか分からないだろう。原因を捜したりしても「寝過ごす」という現象は変わらないのは本人が一番知っているに違いない。

 僕は夜中一人で真っ暗な道を歩いている時に、開放感があるのではないかと思っている。なまじ救いのある懲役刑よりも、希望のない終身刑のような物じゃないなかろうか。

 とにかくタエシマ君には「どうにもならない現実」を、「創作」で面白おかしく描いてほしいと思っている。

 我々は、反省しても、決心しても、同じ間違いを繰り返しているのが現実だからだ。

 冒頭の「風景描写」さえ書ければ、後の内容は「自分の事」だから好きに書けばいいのだ。創作とは最初の数行にあり、それがすべてなのだ。タエシマ君が書いた小説なんて面白がる人は居ないだろうから、雄三が面白がればいいのだ。

 

| - | 02:09 | comments(0) | - |
スポンサーサイト
| - | 02:09 | - | - |









+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ LINKS
+ OTHERS
+ SPONSORED LINKS
このページの先頭へ