イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
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「一人芝居を創る」について

 楽ちん堂に稽古に来ているナツメさんが「一人芝居」を書いてきた。ナツメさんには幼子がいて介護の仕事をしているから、大変に忙しい。週に一度の稽古に来るのも容易ではない、だろう。だから彼女が考えた方法が「一人芝居」だ。これだと空いた時間に、台本を書いたり自主稽古が出来ると考えたのだろう。なんとか「自分しかできない創作」に拘るのもよく分かる。

 昨日、20分ぐらいの長さの台詞を書いてきたのだが、面白い面白くないというより、よく書いたと思う。ちゃんと喋り言葉になっていて、読み上げる時に「相手に話し掛けていた」のだ。それより凄いのは、読み上げる20分の間、テンションというか、緊張感が一定していた。「姑の悪口」を言うのだが、その恨みが「深く・長く」持続されているということだ。多分、ナツメさん本人の思いと重なる部分があるのだろう。だからリアリテーはあるという事だ。

 芝居に立ち上げるのは「書き言葉と喋り言葉」のお手玉から始める。演劇は「書き言葉でまとめた日記帳」とは違うのだ。友達との「馬鹿喋り」でもない。第三者が共感を得るものににしなければならない。共感というのは「客が笑う事」でもある。「唯一の登場人物」である役者が滑稽にならなければならない。あたかも「相手がいるよう」見放さなければならない。観客から見えるのは「ひとり」だが、登場人物は「相手役がいる」と思い込んでいる。認知症の老人が「一人なのに話し掛けている」というのは、痛ましくもある」が、「幸せそう」に見えなくもない。僕の母親は晩年「人形」によく話しかけて満足そうだった。

 ナツメさんの場合、「怒りや恨み」が「場違い」「お門違い」になる必要がある。観ている観客が「笑う」という意味は、「怒りの掃き出し場所」が他にない、ということだ。言うならば「滑稽なほど孤独である」ということだ。

 そうすれば、観客は主人公に同情するとともに、その痛ましさに打たれる。この優しさの表現は、見る人にとっては「笑い」であるのだ。日常では味わえない「複雑な感情」こそが、ライブの醍醐味といえる。観客は「滑稽と悲惨」の感情を同時に感じるというのかな。予期せぬ感情に観客が「自分が飲み込まれる」からこそ「感動」なのであって、「雄三WS」が目指しているのは「感動の塗り絵」ではない。

 「そういうのをどうやって書いたらいいんですか?」とナツメさん。これまでは「ただ書きゃいいんだよ」と答えていた僕だが、「この稽古場にあるものの中で、何を書こうと思う?」と聞いたら、ナツメさんは「キヨコさん」と答えた。皆に食事を出し終えた連れ合いのキヨコが、皆とテーブルを囲んで話していたのだ。ナツメさんはキヨコの話を聞いていたのだろう。

「そりゃ駄目だね」と僕。「キヨコの事を書こうとすると、ナツメさんの筆が止まると思うよ」。

 僕が言った趣旨をまとめると、「書き続けられるもの」が「興味があるもの」と一旦決めるということだ。分かりやすく説明すると「好きな人」に思いがあるなら、その人のことが口を突いて出る。逆に「その人について言う事がない」なら「興味がない」ということね。「好きだけど喋れない」はありえない。その人を思っても「脳が回らない」なら、好きではないということね。

 だから「書き続けられる事柄」を「興味がある」にしようではないか。「自分の事しか喋れない」のは「自分しか興味がない」と僕はしている。

 こう書くと分かると思うが、ほとんどの時間、我々は「自分にしか興味がない」という事が出来る。あるいは「阪神タイガース」や「サッカー」のようなスポーツ。あるいは「遊園地などの娯楽施設」、あと「グルメ」や「オシャレ」などの商業主義を「自分の興味」としている。これが生活であり、僕は非難しているわけではない。僕もそんな生活をしている。

 がたまには「自分が興味を持っているもの」を探ってみるのも悪くないだろうと思う。できるだけ「個的な興味」というのかな。その発見を僕は「創作」と名付けている。「創作行為」を行うと「周りの人が別人に思える」というのはよく起こる。「雄三WS」の体験者なら分かるはずだ。

 日経新聞主催の「雄三WS」では、未だに新年会とか忘年会を行っているとか。5年前に一週間だけ付き合い、芝居をしたに過ぎないのにだ。彼らは日常の付き合いは全くないのに、節目に集まるっているから、不思議と言えば不思議でしょう。

 一人芝居の書き方に戻ると、「書いてみればいいだけ」で、「すぐに書けなくなる」のが大事なのだ。これを行うと、例えば「トタン屋根」について、「ちびた鉛筆」より長く書けるかもしれない。その時ん「もしかしたら自分は『トタン屋根』に興味があった」と思えるかもしれないのだ。

 小説家保坂和志さんは「カンバセイション・ピース」で、猫の描写を何十ページにも渡って書いている。好き嫌いを別にして保坂さんは「猫に興味がある」のが分かる。というより圧倒される。自分でも「猫好きな人たち」に好意的になったのが分かる。フェイスブックに猫の写真を載せる知り合いは、何の他意もなく「我が猫」が好きなのだろう。うざく思っていた「猫好きな人たち」が愛おしくならる。保坂さんの小説で、僕の「ものの見方」が変わったということだ。得した気分になる。

 だから、芝居でも小説でもいいが、書くことは得することと僕は思っているし、そう言いたいのだ。自分が「こんなことに興味があったのか」と驚く為には「書いてみる」のが一番いいと思っている。

 僕は「自分という牢屋から出よう」と名付けて40年になる。

 

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+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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