イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
<< 「タエシマ君が小説を書き始めた」 | main | 「一人ぽっちと創作」 >>
松岡君が自作の和歌を送ってきた

、神戸のWSの参加者の松岡君が「自作の和歌」を送ってきた。和歌には詳しくないが、僕の感想を聞きたいのだろう。

 松岡君の、僕の印象や思いを皆様にお伝えしないと、「なぜ彼が和歌を書くのか?」の意味が分からないだろう。無論、僕の偏見と独断に満ちたものだが、それがないと「和歌が彼の趣味」となってしまう。趣味ならば「素晴らしいですね」で、お茶を濁す事になってしまう。彼が書かずにはいられない「原点」を捜さないと、僕が「素人と創作をする意味」がなくなるのです。

 神戸で営業マンをしていた松岡君は、「酪農」をすると、転職をして北海道に渡った。手紙の住所で調べると、どうやら北方四島が見渡せる海沿いの町らしい。人生の転換を図ったのがよく分かる。僕の長男も、鹿児島からフェリーで14時間かかる、南の島に移住したのだから、「人生の転換を図る」というのは、今の若者の流行のようだ。長男は2年半で島を抜け出し、鹿児島に住むようになったが、最近東京に戻ってきた。ですから、長男の友人は「人生の転換」を計った若者が多い。いうならば「芸術家になる」と言ったところで、親がスマホで調べるから「人生の転換」=「未知への船出」とはならないのだ。

 様々な経歴を持った人が集まる「森田オフィス」や「雄三WS」で、何十年も過ごしている僕は、「独特の生き方などない」と思っている。みんな誰かの真似なのだ。「ちょっとカッコいいな」とかね。あるいは「ああはなりたくない人(たいていは父親や母親)」を反面教師としている。で、僕は「創作を行う事」で、あなたの考えは「オリジナルではない」と伝えようと思っているのかもしれない。「創作って独特」と思われているからね。情報化時代というのは、自分の「行う事」の先が見通せるということだろう。

 今はそんな時代だと思う。だから未踏の地などないのだ。僕らの時代にかろうじて残っていた「性行為」すら、裸の男女の映像で「正しいセックス」の手順が示されたのだ。もはや小学生もエロビデオを見るという。青春真っただ中の若者の中身は、実は「性行為に飽きた中年夫婦」からのスタートになってしまったと僕は思う。

 松岡君が送ってきた40本近い和歌は「北の国の孤独」と「人肌の恋しさ」をテーマにしている。そんなもの「移住しなくても分かるわ」という感想を僕は持つ。神戸で営業マンをしていた時も、同じ思いで冷たい布団に入っていたに違いない。だから、このテーマは松岡君のものではない。言うならば「北海道の僻地」は何の影響も松岡君に与えなかったということになる。営業マン時代の神戸の独身寮も、受験勉強した我が家の自室も同じなのだ。引きこもりの子供が部屋から一歩も出ずに、年取っていくのだ。「孤独と人肌の恋しさ」を追い求めるのが松岡君の人生ね。

 松岡君、僕がいまここに書いたことは、周りの大人たちはみんな分かっているのですよ。あまりに可哀相だから、皆は「頑張っているね」などと励ましているのです。「引きこもりの子」に声をかけるのが優しさだからだろう。松岡君からすると「底意地が悪い」と思える人がいるでしょう。会社の上司とか管理者。が、だいたいは直接仕事を教える同僚と言うか、仲間は「面白そう」に付き合ってくれるでしょう。それは僕もそうだが「すぐに転職するだろう」と思っているから、「初心者免許」のように「真面目さで人生を乗り切れる」と思っている松岡君にふざけているのです。無論、イジメるような悪ふざけもありますが。

 前回、我々のWSに「里帰り」のように顔を出した時に、「昨日ちょっと言ったことを、翌日には村中の人が知っているんですよ」と、松岡君が言っていた。それが、松岡君が感じた「その地」なのです。そこことが発見なのであり、松岡君が「関係している」ことなのだと僕は思う。そんな些細な事は松岡君はどうでもいいのだろう。単なる愚痴の感じで、「発見」に繋がっていかない。

 「ふざけんなオーロラくらい見せて見ろ、きれいな姿で忘れさせてよ」が松岡君の原文。これを僕が変更すると「ふざけんなオーロラくらい見せて見ろ。昨日の秘密、村中に広まる」

 もう一つ「『抱きたい』が、想いの全てとはいわないが、体の芯まで感じられないかな」が原文。僕が変えると「『抱きたい』が想いの全てとはいわないが、体の芯まで届かず、マスまたかく」になる。

 僕は何も下品な事を歌に取り入れろと言いたいのではなく、自分の思いを発見しろと伝えたいのだ。見知らぬ人に商品を売り込んだ後の独身寮で「マスかき」と、星がきらめく雪原から帰った一軒家での「マスかき」はとは、想いも感慨も違うだろう。その「かすかな違いの発見が創作」と僕は信じている。「マスかき」と刺激が強い言葉を使ったが、「コロッケを食べる」でもいいし、「シャツを干す」でも何でもいい。日常で繰り返されることでの「発見」を、書くことによって、意識的になれば良いのだ。生活が違って見える。

 日本で一番有名な和歌。

「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日。

 この句に僕が初めて接したとき、性に奥手な若い女性が作者だろうと思った。簡単にいうと「ダサい女」ね。今でこそ「サラダ記念日」はフレーズは市民権を得たが、「記念日」というのは、新鮮さのない言葉だったのです・「建国記念日」が代表的で、「結婚記念日」なんて、僕は無視する言葉だった。

 和歌は古くからある表現形式だから、僕が知っている古典芸能にも触れたい。古典芸能は「プロの世界の創作」であって、長年の習練は避けられない。歌舞伎などは3歳から稽古を始めるのだから、素人が太刀打ちできるものではない。形を真似て、それに魂を吹き込むのだから、4日で芝居を創るを行っている僕からすると「どうぞやってください」だよね。

 この古典芸能のような形で、日本は西洋演劇を取り入れたのです。ロンドンのシェークスピア劇団のレコードを演出家に聞かされて、僕ら若手の役者は、その口真似をさせられたものだ。日本の現代劇の家元はロンドンにいたのです。

 和歌はよく分からないが僕が、松岡君の作った作品に接すると、「手本」が自分と関係ないところにあると思えてならない。だから松岡君の「生き方」にも「手本」というか「こうあらねばならない」というものがあるんじゃないかな。松岡君が大人になるまで、僕のような「松岡君を馬鹿にしている先輩」から、鼻先を引きずり回されるだろう。こんな酷い事を書いても僕を恨まぬほど、それぐらい松岡君は「良い人」なのです。

| - | 19:51 | comments(1) | - |
スポンサーサイト
| - | 19:51 | - | - |

ズキンと来ました。松岡くんに幸あれ。と、私自身にも向けられた刃のような。
| マスカキマスター | 2017/01/31 10:19 PM |










+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ LINKS
+ OTHERS
+ SPONSORED LINKS
このページの先頭へ