イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
<< 質問です | main | 質問です >>
「恋愛の末の殺人について」  森田雄三

恋愛の現代性を知りたいなら、40年前の映画で「卒業」というのを見るといい。教会で結婚式を挙げている最中の花嫁を奪うラストシーンが有名だから、見た人も多いと思う。


 大学を優秀な成績で卒業した金持ちの息子(自宅に立派なプールがある)が、自分の将来を疑うことから物語は始まる。両親もその仲間も、リッチでハイソなパーティーが行えることを幸福だと感じている。だって卒業祝いが、赤いスポーツカーだもの。
 
父親の仕事仲間の娘とデートを進められるが、拝金主義者たちの罠にはまるまいと、引きこもり気味になる。ちゃんと親に抵抗が出来ないのだ。そんな風に躾けられてしまった結果といえる。

金持ちの俗悪さに飽き飽きしている人妻と、息子は関係を持ってしまう。二人は、肉体の喜びと共に、キリスト教的なモラルへの反感から、逢瀬を重ねる。

この関係を持った人妻の娘が、両親が密かにもくろんだ結婚相手なのだ。たっての願いで、そっけないデートを重ねるが、主人公の息子には「好きになれない理由」がある。だから「嫌おう」とすればするほど、引かれていくという恋愛の原理が働いてくる。

すべての秘め事が浮上し、娘は別の男性と結婚することになる。そこで、息子は花嫁を奪うという暴挙に出るのがラストシーンだ。


 問題はここからなのだが、花嫁の手を引いてバスに乗り込んだ二人の顔がアップになる。息子は複雑な表情をする。

この娘と結婚する(もはや結婚しなければならない)ということは、両親の思惑どうりのリッチで、俗悪な生活を受け入れるということを意味していることに気が付く。息子は罠にはまったことになる。

 

恋愛には「妨害」がないと成立しないのです。

漱石の「こころ」にしたって、先生はお嬢さんと結婚させられるタクラミを、当初は感じている。だからお嬢さんとは距離を置いている。それがKというライバルが現れることにより、お嬢さんに結婚を申し込む。

 

古典的には「家柄」が恋愛の妨害者というか、結婚への壁となる。「ハムレット」から始まって、スタンダールの「赤と黒」、三島由紀夫の「潮騒」まで、あげれば切りがない。

「歳の差」は、「ロリータ」、日本では「野菊の墓」などもそうだろう。

三角関係となると、当たり前となり、通俗小説の部類となる。「不倫もの」などは、典型だろう。

 

今の時代を考える上で、親が娘の男付き合いに干渉しなくなったという事実は重要だ。恋愛における「親の妨害」という要素がなくなったといえる。「親」が代表する「婚約」とか「家柄」という縛りがなくなった。
 恋愛が自由になったようだが、「妨害」がない分、結婚は簡単だが、苦楽を共にすることがなくなったといえる。
 
恋愛の自由の容認は、若者が「結婚したくない」という、本音に気が付いたといえる。恋愛のたんびに結婚していたら、身が持たぬというやつだ。


 ここで、若者たちは二派に分かれたのじゃないかな。
 
風俗やキャバクラ、ホストクラブでの「疑似恋愛」をして現実の異性とは、付き合わないタイプ。
 
もう一方は、必ず「振られる」ようにするタイプだ。不倫とかストーカーは、相手が「付き合いを止めよう」といった時点から、燃え上がる特徴を持っている。

 
誰しも「遊び」だと分ると、恋愛にしろ性交にしろ、白けるものだ。恋愛の到達点が「結婚」であった頃は、結婚できない恋愛は「破局」となっても普通のことだった。親の反対で、泣く泣く別れる。
 が、当初から「結婚するつもりのない」二人の恋愛には、燃え上がる根拠が必要だ。じゃないと、単なる遊びとなってしまう。


 で、持ちだしたのが古典的な手法の「あなたの為なら死んでもいい」というやつだ。「死」を持ち出せば、「結婚する、しない」はチャッチくなる。
 実際口にしなくても、そう思った現代人の若者は多いのじゃないかな。案外、性交の後のあいまいな時間に、「死」を語らいながらイチャツイたカップルも多いかもしれない。


 それはそれでかまわないのだが、「死ぬ」なんて戯言に決まっているが、マジになる人もいるから危険なのです。もっと詳しく言うと、「一緒に死のう」といったら、相手がひるむ。それを見て、自分は純粋に愛しているというヒーローやヒロインになれる喜びがあるわけですね。相手を「裏切り者」として非難できる。ストーカーの原理と似ているのです。

ここから、殺人につながるのは、もう一歩でしょう。


 「恋愛における妨害」が、外側にはなくなったから、「内なる妨害」を作らない限り「恋愛」が成立しない時代となったのです。
 精神的な苦痛や快楽が伴わない限り、セックスも動物の交尾と変わらなくなってしまう。
 性の付加価値が「恋愛」ともいえる。その「恋愛」を支えるのが「死」の側面もあるのです。三島由紀夫が盛んに書いているが、僕には難解だ。

 

| - | 14:59 | comments(5) | - |
よく、小説や作家の見解についての感想で「難解」と表されることがありますが、文学に対して「難解」とはどういうことなのでしょうか。

たとえば、自分の感想でいうと

カフカの「変身」で、主人公が虫になるのは「わかるわかる」という感じがあるけど、

カミュの「異邦人」で、主人公がぎらぎらした太陽の下で殺人を犯す…→のは、何のことかわからないので「あの感じを人は難解と言うのかな?」と思ったりします。
(あれは、理由なき殺人を悪いと思っていない新しい種類の若者を描いた、ってことなんでしょうか。どうしてもついていけず前半で読むのをやめたからそれさえもよくわからない)

描かれるテーマや設定が自分の人生経験とかけ離れすぎて理解に苦しむ(同性愛、とか宇宙が舞台とか)ということとも違う気がします。

先日、昔中央公論社の文学全集に、松本清張も入る予定だったのに、三島由紀夫が猛反対して、松本清張だけ入らなかった、という事実があったと知りました。

もし、雄三さんが「難解」と感じたような三島さんの見解が、三島さんが「難解そうに」していたことだったのなら(それが年取ってから、でも)、一般大衆が共感できる感情や環境(接待、領収書)を文学にさしはさんだ清張さんを一所懸命排除しようとしたのかな、と思います。

それと、三島さんの何を難解と思ったのかも教えてほしいです。

| | 2009/11/23 10:33 PM |

三島由紀夫の「バタイユ論」です。エロチシズムは死であるというくだり。
| 雄三 | 2009/11/24 7:18 AM |

フランス語で言う「小さな死」を重ねるからなのでは。
| | 2009/11/24 11:22 PM |

フランス語でいう小さな死って何ですか。

教えてください。
| | 2009/11/25 8:01 AM |

小さな死: La petite mort

それは、「オーガズム」のこと。
| | 2009/11/28 5:25 PM |










+ イッセー尾形オフィシャルブログ
+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28      
<< February 2010 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ recommend
+ LINKS
+ OTHERS
+ SPONSORED LINKS
このページの先頭へ