イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ
森田雄三語録ブログ
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質問です
 
依存症ってなおらないものなのでしょうから。
| - | 13:34 | comments(0) | - |
「ひとりを超える」について
 

 期間限定でやっているのが、我々のWS。一週間の集いが終わったら、見ず知らずの赤の他人に戻る。当初はこの集まりが終わったら、街で会っても「挨拶するな」と言っていた。

この枠組みは効果があったようで、参加者はプライベートな事を人前で喋り、舞台でも堂々と表現していた。

「護身術を習っているんだけど、気が付いたらいい歳になっていて、誰も私を襲ったりしないのが寂しい」

「死んでやるって、ホテルの窓から飛び降りたんだけど、落ちた瞬間、痛いよりも何も、窓を見上げて心配そうな彼の顔を期待するんだけど、彼は帰ったみたいだった。その部屋は三階だったし、かすり傷で済んだ自分があわれだった」

「彼女とのデートで、外車のカマロをレンタルしたんだけど、日帰りになってしまった」

悲しい本人の体験談を、周りの参加者はクスクス笑って聞いている。これって、親しい友人の態度というよりも、身内感覚じゃないだろうか。兄弟姉妹の体験談を聞く感じかな。「大変だねー」といった前置きが省かれて、「馬鹿だなぁー」が先行する。

他人の参加者が、このように身内感覚になるのも、実は「今後は関係しない」という枠がWSにあるからだろう。

 

これを逆にいうと、「今後の付き合いが続く」という正常事が、本人を窮屈にしているといえるのではないだろうか。「今後の付き合い」は、通常は「もっと知り合いたい」という「心の満足」へと発展するのが自然。
 
ですから我々のWSは「もっと知り合いたい」へのアンチ・テーゼだったのです。「知り合いにならない」という枠があって初めて、「自分を知って欲しい」という欲望が解放できる。この矛盾を抱えているのが現代ではなかろうか。この「もっと知り合いたい」「いや、長く付き合うつもりはない」の矛盾が本人を苦しめて、無口にする。通り一遍しか口に出来なくなる。

 

が、現実は僕の理屈などをすっ飛ばして、WSにはリピーターが多くなってくる。困った事に「今後の付き合いを禁止」した僕自身が、うれしいのだ。イッセーさんの公演に来て手伝ってくれたりすると、酒席を囲むのが楽しみになったりする。この「より深く知りあいたい」とか「人情」のようなものは、現代では大いなる危険性を孕んでいると僕は思っています。

 

我々は「深く知り合いになる」という人間関係の到着先を、先人たちが作ったものしか知らないのです。「恋人になる」という性がらみか、「師匠と弟子」といった才能がらみ、「上司と部下」というポジションがらみ、などなど。

これは、これで駄目だとは思わないが、一対一の人間関係を基本としているのだ。もっというなら「第三者を排除する」方向になりがち。俗にいうと「ひいき」とか「嫉妬」「優越感」が始まる。

だから、「人間関係」というのは、「個人と個人」が向き合うことに集約される。

 

例えていうなら、タンポポの種子に付いている綿毛のようなものが、「個人」と「無数の個人(他人)」との付き合いの糸になるのではなかろうか。タンポポの綿毛が個々の人間関係だとすると、空中に浮遊する一人ひとりの綿毛が、互いに絡みつく可能性が大。都会では、密集して綿毛が飛んでいるのではないだろうか。

 

 多数の人間関係の充実を、古い集団で探すなら「井戸端会議」だろう。洗濯場に集まって女将さんたちが、亭主や姑、知り合いの悪口を言う。僕は、この「井戸端会議」に希望を見つけようとしています。

 身近な人の悪口ほど面白いものはなく、我々は知らず知らずに楽しんでいる。この時に、誰しも「その場にいない人」の悪口を言うのだが、マジなものは嫌われるのではないだろうか。マジというのは、現実を変化させる効果を狙った愚痴といえる。手助けを求められている感じかな。

例えば亭主のことを「パチンコに昨日も行ったのよ」と言うとしますわね。これが、生活費に困るとか、子供の給食費が出せないとなると、マジとなる。それが「もう二度としないって、土下座するのよ」という風に、相手の描写となれば、周りも聞き流せる。上手く行くと笑い声が起こるかもしれない。

 

ですから、嫌いな人の描写力が、「悪口」の嫌な印象を消す可能性がある。回りまわって本人に聞こえたとしても、「しょうがねーなー」と苦笑で済むかもしれない。それが「あの人って、意地悪」とか「許せない」「同じ空気を吸うのも嫌」と、抽象的な表現になるとシラける。聞きたくない事を聞かされたとなる。

 

ですから、書き込み者がいう「知的でおだやかで分別がある」と書くのは結構だが、それにまさるのはバイタリティーではないだろうか。「知的でおだやかで分別がある人」が「悪口はいけない」という壁が破れない気がするのです。「悪口に悪意がない」という真意を伝えるのは、胆力がいるだろう。

 共通の知人の悪口から始まって、近親者の悪口となり、自分自身への悪口となれば、笑える。自分の悪口こそが、西洋演劇でいう「道化」なのです。道化は王様の悪口を言う。

 リヤ王の道化は「王は何も見えない」と言う。王を愛していた末娘は、王が望むように「愛の言葉」を述べなかった為に追放される。
 伝統的に「末娘」と「道化」は、同じ役者が演じていた。

  「リヤ王」は「相手の気に入らない事(悪口)を言う」ケースを描いているのです。全国民が歴代首相を見下げる民主主義国日本では、国民すべてが「リヤ王」になったといえる。ケント伯爵のようなマジな忠告は無碍にされ、「道化」に「ふざけて批判される」必要があるのではなかろうか。

 

| - | 23:21 | comments(0) | - |
質問ではないかもしれないが
 「ただいま」と言える、
ひとり暮らし

これは以前、ビルやマンションの管理会社が運営する女子寮の入居者募集の広告の仕事で採用してもらったコピー。

お気に入りで、本当は意匠登録みたいに登録申請したいくらい。

これをいま、東京では、集合住宅で実践している20〜30代がいるらしいですね。長屋を改装したり、田舎出身の若者が集まって、同じ建物内の違う部屋に住みつつ、休日は当番制で皆で食事を作り食べる、とか。

皆おしなべて「知的でおだやかで分別がある」のが一目でわかる感じが特徴的。
クローズアップ現代でそういう人たちを取材したのを見たけど、
筋が通らない無秩序・無分別な社会でもみくちゃにされた若者が、寄り添って、「知的でおだやかで分別がある」自分を、心おきなく出せる安心感があるのかな…という感じはした。

でも「長続きはしないんだろうな」と直感的に思った。

もちろん良い取り組みで、実践していることはすごいな、と思う。

しかし、何でだろう。

「知的でおだやかで分別がある」人たちのああいった取り組みは、立ち消えそうな印象をもつ。
| - | 14:04 | comments(0) | - |
「怒って発奮させる」と「褒めて伸ばす」について
 

「発奮させる」とか「褒めて伸ばす」というと、思いっきり昭和ですよね。今では、定年退職ですらこんな発想をしないと思う。

 質問者の問文に触れると、いかに時代が進んだかが分かる。昔は「下働き」と「命令者」の階級的な格差が露わで、なおかつ両者が歩み寄ろうとした社会背景があったのです。典型的な例が軍隊。
 部下の能力を発揮させるか否かが、管理者次第と思われていた。上司の言葉や態度によって、部下のやる気が違うと信じられていた。

 こんなヒューマニズムは、神話的というか、お笑い草でしょう、皆さんにとって。コールセンターに勤めたら上司は関係ない。配送センターでもいいけど。

 

 八百屋や魚屋は威勢が良くて、おでん屋のオバちゃんは「おふくろ的」なんてね、今は皆無。そんなメンドクサイ関係が生じるよりも、コンビニで済ませる。

 息子が中学生の時に、行きつけの理髪店のオヤジと出くわしたら、横町に入って隠れるようになった。別の店で散髪したのが「後ろめたい」んだって。床屋のオヤジが、客のリターンを狙ったというより、近所付き合いとしての「親しい口のききよう」自体が、うっとうしいのだろう。

 

 多かれ少なかれ、「立ち切れないシガラミ」を幼児期に体験して育った平成の若者は、「ヒューマンな触れ合い」を恐れるのです。どうしても避けられない「構ってくる年配者」に対して、仮面で応じるしかない。心が現れないようにして、「二度と声をかけないで」の信号を発するのです。これが過剰な愛想笑い、もしくは仏頂面。
 こんな若者に「心を開け」と説教するオヤジは漫画以下。

 

 じゃ、人間が本来持っている「大声で励ましたい」「褒めてあげたい」といった「心の発露」が行き場所を捜す。そのようなヒューマンな関係の行き先が「よさこいソーラン」だろう。この期間限定の、単純な肉体運動では、「怒って発奮させる」とか「褒めて伸ばす」が大手を振っている。やり終えての泣き笑い、悔しさや満足感に満ちるだろう。互いに「やった気」になれるということです。

「よさこいソーラン」の文化部系が「ボランテア」。海外青年協力隊での感情の発露も激しいとか。

 

 「引きこもり」は、時代の変化を「自分を犠牲」にして、世に知らしめたと、僕は思っています。ヒューマニズム的なものに牙をむいたとでもいうのかな。「良い子になる」のを絶対的に拒絶したといえる。

「怒って発奮させる」と「褒めて伸ばす」という質問者の文章は、「相手を向上させる」という前提がある。「向上したくない人」がいるのが、絶対に目に入らない。

 こんな親は全身全霊を込めたヒューマニズムで、「引きこもりの我が子」を救おうとする。この対立の激化が、数々の家族間の殺人事件を生んだのです。

 

 親を「諦めさせる方法(これしかない道がないと思う)」が、オタクでありコスプレではないだろうか。
 タレント小島よしおの「そんなの関係ねえ」が爆発的に流行したのも、子供達の「心の叫び」と関係あるだろう。親世代が眉をひそめるような、ビキニのパンツ一つでテレビに登場した。確か、このタレントは有名大学の卒業だったはずだ。

最近、久々にテレビを見たら、女装のタレントの多さに驚いた。

 テレビは健全だと、僕は思ったね。良識を駆逐し、下品を推奨している。

 

 イッセー尾形の仕事は「ひとり」ということだ。連帯というか、人とのつながりが大事とされた時期から「ひとり」を続けている。「ひとりの豊かさ」を描いてきたともいえる。それが40年近く、イッセー尾形が支持されてきた理由の一つだろう。

 

 最近のワークショップの依頼の多さに、「ひとり」を通過後の、「人との触れ合いの模索」を感じています。
 「ひとり」は大震災に勝てなかったとでもいうのかな。帰宅難民を体験した人たちの「結婚願望」が大幅に増しているのも関係していると思う。「人肌のぬくもり」「遠慮のない言いあい」「集団でいながらの好き勝手」が、求められているのではないだろうか。

 新しいヒューマニズムの発見は、面白い冒険に違いない。



 

 

| - | 01:41 | comments(1) | - |
質問です
 
「怒って発奮させる」と「褒めて伸ばす」の匙加減は、どんなもんなんでしょうか?
| - | 13:25 | comments(0) | - |
「移住」について
 

英語講師を殺して、逃亡していた市橋の手記には、3年間に渡る足取りが書かれていた。僕は勝手に、場所と心理の関係を想像した。

 

最初は東北地方の山の中を、ひたすら歩きまわっている。妄想が現れたりして、記憶で「お化け」の絵も描いている。歩くのは夜中だからだ。で次に目指したのは「北」の方角で、北海道に渡っている。真っ白な大地で死ぬイメージがあったらしい。演歌そのまま。

次は四国に行って、お遍路をしている。死者を弔うつもりだったろうし、「生き返る事を願った」との記述もある。手持ち金もなくなり、お供え物や、果実を盗んで食べるのが日常。で、熟れた果実をガブリとやり、果肉が口に広がった時に「彼女は死体となった」実感が襲ってきたとか。久々の味覚の復活に「死者は蘇らない」と悟ったのかもしれない。

で、行きつく先が「博多」。そこで彼は「金がなければ生活出来ない」という常識に思い当たる。何カ月も、逃亡時の金だけで暮らしていたのだ。九州で「金を稼ぐ」という、「生きる現実」に直面したということだ。

初めて日雇いの仕事を捜す折に、紹介してくれた人から5千円貰う。彼が殺人犯の逃亡者でなければ、このお金をくれた人は恩人になったろう。いや逆に「逃亡犯だったからこそ」他人の善意に「生きよう」という意欲が湧いたのかもしれない。無論そんな事は書かれていないし、逃亡者の市橋が自分から口をきく事はなかったから、脅える気持ちだけが書かれていた。

 

本格的に生きようとした市橋は、逃亡者のパターンである大都会での日雇い労務者となる。逃亡者の所持金(警察は調べるだろうから)の高から、捕まえる側はそれらしき場所(娼婦街、ドヤ街)に網を張ったろう。が、逮捕が遅れたのは、逃亡犯は意図せず、食うや食わずの生活を送ったからともいえる。

で、貯めたお金で住みついたのは、沖縄の無人島。その島を知っていたのではなく、観光用の地図で知ったとか。

 

その無人島の廃家にテントを張り、我が家としている。都会で金を稼ぎ、島で暮らすのを繰り返している。彼が犯罪者でなかったら、絶対にしなかったろう大自然の中での生活。
 それに確か、日雇い労務者として、年間400万ぐらい貯めたとの記述があった。仕送り生活に慣れ切った市橋にとっては、肉体労働は想像すらしなかったろう。よほど肉体労働が気に入ったらしく、作業の内容が詳しく書かれ、図解までしてあった。
 それよりなにより、寮で出会った人や、仕事仲間のことが、喧嘩した事まで含めて詳しく書かれていた。生身でに「人との触れ合い」といえるのではないだろうか、肉体的な裸じゃなく、精神の裸が触れ合う。簡単にいうとキレるということだ。労務者が突然怒り出すのは日常茶飯事だから、キレやすい市橋は、肉体労働者となって「感情の噴火」が認知されたのかもしれない。

 

僕は、失わなければ手に入らない生活ってあると思っています。で、僕の「移住」の先のイメージは、必ず南の島。生活費が掛からずに暮らせるという、妄想に近いものがある。僕にとっては、現実が苦しければ苦しいほど、理想は「怠惰」なのだ。無一文でも暮らせる、という現実からの逃避の行き先があってもいいではないか。

 

僕は根性無しだったから、「移住」は実現できなかった。現実の条件に左右されるのだ。生活費や住居といった具体的な事を考えると、現実に踏み切れないということですね。それよりなにより「目的」を考えると、足が踏み出せない。夜中に「南の島で住みたい」と妄想するしかなくなる。

 

長く生きていると「行くも地獄」「戻るも地獄」という時ってあるものだ。その時の判断は、僕はシンプルだと思っています。体力があれば「進み」、精神力が勝れば「留まる」という感じかな。

いずれにしても、似たような結果になるのを見聞きしたからです。若いうちだと「離婚」しても、似たような連れ合いと一緒になるものだし、離婚しなくても「離婚同然」になるか「離縁される」のではないだろうか。
 「転職」の落ち着き先は、年収の減少。職に留まったとしても昇給はないと思えば気が楽になるかも。

 

僕の結論からいうと、質問者は将来「地方都市」に住むのではないだろうか。稼ぎも良くないが、生活費も掛からない地域に落ち着く気がする。その間に「南の島」というオプションが入るかどうかだろう。

 

僕らの時代は「都会へ行く」ということが「移住」だったのです。僕のケースは大学に入る為でも、就職する為でもなかったから、「移住」としかいいようがない。

当人の「根拠なき優越感」と、近親者の「度を超えた心配」と、友人たちの「羨ましがるドウデモよさ」に包まれたもんだ。そして見知らぬ場所での「終わらない日常」が始まる。

なにはともあれ、僕には質問者がうらやましい。どうでもいいからね。

 

 

| - | 04:00 | comments(1) | - |
質問です
 
種子島や石垣島など、南の島に移住を考えています。森田さんは移住は考えたことはないですか?
8歳と4歳と妻とおばあちゃんと私、5人家族です。
仕事は、会社が潰れかかっています。
なので、この機会に移住を考えました。
| - | 04:56 | comments(2) | - |
知らない方が良かったっていうこと、について
 最近、一人で大笑いをしたのは、平田オリザの発言だ。韓国に行って、放射能まみれの汚染水を海に流したのは「アメリカの強い要請があったからだ」というやつ。

 てんてこ舞いの原発処理だから、さまざまな憶測が流れて当然だし、各々が「自分の説」を「真実」と思い込む可能性がある。門外漢の平田オリザに「アメリカの要請」うんぬんを耳打ちした人がいても不思議じゃないだろう。床屋のオヤジなら、官僚筋から聴いたに違いない「米国政府の要請」という説を、得意げに話すのもあり得る。ホラ話のひとつとして、右から左となるだけだ。が、平田オリザは内閣官房参与の肩書で、外国の公式な場所で話しているのだ。

 

 実に、この「米国政府の要請」という説は幼稚といえる。我々が幼児の頃に悪戯をして怒られた折に、「ガキ大将に命令された」と言い抜けするのと似ている。汚染水を流したという近所迷惑を攻撃されて、アメリカという「ガキ大将」に命令されたと言っているのと同じなのだ。

 平田オリザは、汚染水の事を「知らなければよかった」と後悔している一人に違いない。ただでさえ多忙なのに、平田オリザに振り回された政府関係者も、「誰だ、余計な事を教えたのは」となっているに違いない。

 

 この平田オリザを内閣参与に任命したのは、鳩山前首相だとか。この前首相の幼児性も、度を越している。普天間基地の移設問題で「腹案がある」といい続けたのも、いじめられっ子の頑張りと似ている。

多分「徳之島に基地を移設」が可能と耳打ちした人がいたのだろう。最後の最後に、徳之島の実力者を訪問してパーとなった。「徳之島移設有力」さえ、鳩山前首相が聞いていなければ、あれだけの大騒ぎにはならなかったろう。

 

ですから、平田オリザや鳩山由紀夫に「教えなければいい」という、暗黙の了解が国の責任者の間で広がっても不思議じゃないだろう。

このことが分からないと、官首相が「あれだけ非難されている」根拠が分からない。官首相の幼児性が分からないといえる。

 

原発事故というのは、全ての情報を公開できないに決まっているのです。意図的に隠すというよりも、事実は分からないのです。最悪のケースならば、最悪じゃなくても「20年、30年は汚染地帯には住めない」可能性がある。現にチェルノブイリがそうだからね。

その情報を隠せと、僕は書きたいのではなく、この情報公開には責任者の腹が座っていなければならないのは当然でしょう。政府機関で、その可能性について検討するのも当然だし、その情報公開は少なくとも真剣であらねばならない。が、官首相は、この発言が漏れて、発言の主を「部下のせい」にしてしまったのです。その時に、「住めない可能性がある」という当然を検討していると、正直になるチャンスでもあったのだ。「部下のせいにする」というのは、最も下卑た処理だよね。

 

建築の仕事をしていた時に起こったことだが、コンクリの外壁を建てると、その自重で地盤沈下が起こる事がある。僕はサッシ屋だったから、窓枠はきっちり水平でなければならないから、ズレを発見する事がある。一方の壁が地盤沈下を起こしているのだ。これを一番最初に発見するのが、サッシ屋といえる。この時にこれを監督に報告するかどうかが難しい。

 

柔な監督だと大騒ぎして、頭を抱え込んでしまうのだ。ひどいと建て主に正直に話したりする。そうなると、建て物は基礎の杭打ちからやり直さなければならなくなる。

が、長年の経験から、この地盤沈下が収まる事がある。許容ないでの誤差で留まる事もあり得る。

このまま酷くなるのか、ここで留まるのか、が分からないのが現実なのです。現場といってもいいが。人間は全知全能の神ではないから、害が広がるのか収まるのかが、「解らない」事が多い。が、稀に、このような折の判断に、もっともだと従うことがある。その信頼を、我々は権威と呼ぶのではないだろうか。

 

大病をすると、専門医の判断が重要だというのは、誰しも分かるでしょう。癌の場合、疑いがあれば切除というのが一般的。が、この「疑い」は「薄いグレー」から、「まっ黒」に近いものがあるのは当然でしょう。この「グレー」に対する判断が信頼なのだ。信頼がないと「何でもかんでも切除」される。手足を切られる患者は堪らないよね。

 

情報というのは「目の前の人」との信頼感を失わせる方向にあるのです。「原発の内実もっとすごい」「東京が汚染されている」などなど、風評といわれるものは今後も続々と出てくるだろう。どれが本当か、素人の我々に分かるわけがない。

 

が、僕は「日本政府」を信頼しているのですね。敗戦に向かった近代国は、例外なく国民に「嘘の情報」を流している。「負けたことを勝ったと報道」している。そして最後の最後まで戦う。顕著な例がヒットラーで、ベルリンまでが戦場になっている。

日本国は、完璧な敗戦以前に「負けを宣言した国」なのです。軍事下の日本政府は様々な嘘を報道したが、本土決戦の前に降参した。これって信頼に足りることだと、僕は思うのです。外国の実例に比べてですよ、誤解なきよう。

 

戦後、日本にレジスタンスというか、内戦が起きなかったのも皆さんご存じでしょう。ソビエトにしても、中国にしても、千万単位の自国民を殺している。反対の意見を持った人を粛清せねばならなかった歴史があるのです。

 

事の善し悪しではなく、パレスチナは敗戦国で、戦勝国のイスラエルに、いまだにテロを行っている。良識者は、繰り返し平和条約を結ぶのだが、直接の被害者は復讐に出るのです。

日本は「復讐を行わない」という、良識の国といえるのではないでしょうか。

 

我々は「知らねば良かった」という事があったとしても、聞き流したり、愚痴ったりで、解消する能力がある気がする。僕が国の責任者に望むのは、細かな情報はどうでもいいから、大判断の腹だけは持っていて頂きたいということです。
 福島原発の放射能に対する敗戦もあり得るのだから。





 

| - | 18:20 | comments(2) | - |
質問です
知らない方が良かったっていうこと、ありますか。
| - | 14:14 | comments(0) | - |
みんながみんな「楽しく過ごす」ため、について
 

 「歯が痛いのは、この上なく幸福である」というのが、僕が長年生きて到達した心境です。

 例えば、死病を体験すると、完治するのを夢に見る。早く治って我が家で過ごしたいと思う。そして病院のカーテンの間からしか見えない陽の光を全身に浴びたいと願いながら、隣の病棟を眺め続ける。そんなことすら贅沢に思えて、せめて隣の同病患者のうめきが聞こえない所で眠りたい欲望に捉えられる。

 

 が、病気が治ると、あれだけあった願望が跡形もなくなっているのに気が付く。我が家で過ごす「当たり前の幸福」を振り返ることなく、特別な事を望んでいる自分に気が付く。美味しいものが食べたいとか、良い芝居がしたい、金持ちになりたいといった欲望だ。そして、その到達点に向かって、努力もすれば、反省もする。

 だから、人間の願望には「何でもない事への望み」と「特別な事への望み」がある気がする。

 

 人間は不幸なことに「何でもない事を望んでいる」とは、なかなか意識できない。病気というか不自由な時に、「何も起こらない幸福」を望むのかも。

 結婚しているのに「愛人」が出来たりすると、古女房や住み慣れた我が家が恋しくなるが、相手があることだから、そう簡単には後戻りが出来ない。不正で手に入れた金や、サラ金からの大枚が手に入ると、無駄なものに使ったり、子分筋におごったりするのも、後戻りが出来ないアセリからかもしれない。

 

 で、虫歯が痛い時に「この痛みさえなければ」と、誰しもが思う。そして、歯痛がなくなると、「何もないありがたさ」が、瞬時になくなる。歯が痛い苦悩がなくなるのと、「普通のありがたさ」がなくなる。

 この事は瞬時に起こっているようだが、タイムラグがあって、ここの「ちょっとした時間」を意識できるかどうか、の気がする。ここに「愛」というか「善」が、満ちているのです。

 

 分かりづらいかもしれませんが、長い間難病で激痛に苦しめられた生命科学者の柳沢圭子の著作を読むと、朝日が昇る時間帯の事が書かれていた。激痛で一睡もできなくても、濃紺の空が白くなり、地平線がオレンジになると、痛みは引いたという箇所に出会って、僕ははたと膝を打った。

 手術の夜は痛みで寝られなくて苦しいのだが、太陽の光で元気が蘇った体験が、僕にも何度かあったのだ。「太陽は人間の精神を変える力がある」と分かる喜び。無論、明けきると看護師さんの足音で患者としての日課が始まるのだが。この太陽が昇る時間が、僕はタイムラグだと思っている。「太陽が昇る喜び」は、健康人の方々には理解しがたいだろう、とは思う。

 夜中に書いたラブレターは、朝日の中で読み返すと、恥ずかしさに耐えられないという、思春期の体験と近いかもしれない。自己満足の盛り上がりを、陽の光は冷静にさせてくれるというのかな。夜中の苦痛は、朝にはなくなるのと同じ原理。

 

 満天の星でもいいのだが、子供の頃、夜道を一人で歩いた経験のある僕は、「自分が小さい事」への満足感がある。星空の広がりに「怖い」とか「さみしい」という下世話な感覚が吹っ飛ぶのです。だから子供の頃キャンプをして、星空を眺めたもんだ。多分、「孤独」がマイナスなものではなく、満ち足りていたからかもしれない。いまでも星空を見る為に、暗い地域に出かける。何も起こらない満足を再確認したいのだろう。

 新雪が降った夜、真っ白な大地を歩くと、地平線から天空まで薄く明るい。あらゆる物音が吸い込まれて無音世界。雪を踏みしめる靴だけが「キュ、キュ」と鳴る。早く家に帰ろうと思っているのだが、この大自然との溶け合いといった感じに満ち足りていたりする。

 

 秋雨が降る9月。家は無人。肌寒さを感じて上着を着込む。そのまま縁側から、庭に降る雨を眺める。池に広がる波紋を見つめていると飽きない。

 

 ですから、僕は「自然としての人」という風に人間を捉えられないかと思っているのです。まず自分を「○○をする為の人」としないとでもいうのかな。ぼんやり、ボケーとしている人間。ただ居るだけ。

 仕事をしているとそうもいかないけど、周りの人を草食動物か植物のように思う。こっちに害をなさないのだから、安全なのだ。

 家族というのは、草食動物。居るけど、居ないように感じるから楽といえるのではないだろうか。単身者がペットに癒されるようなものだ。面倒だけどペットを飼うのは、飼い主も動物に戻りたいのかもしれない。何も考えない自分。

 

 たまには死病患者が家族を思うように、親しき人が居るだけで満足という状態になってみるのも悪くないだろう。息子が虫歯で痛がっていると、幼いころから「虫歯は幸福な証拠」と言い続けてきた。必ず治る痛みは「普通のありがたさ」が、切実に実感できるのだ。

 健康は「高望みする」から、苦しいと僕は思っています。僕は、桜散る石段を駆け下りる夢をよく見ます。そして幸福感に包まれる。

足のある皆さんには「当たり前」過ぎて、段を降りるどこが嬉しいか分からないでしょうが、不可能になると「何でもない事」がいいのです。

 

今日、久々に「先生たちとの稽古」だったが、8時過ぎまで誰も現れなかった。やっと一人目の先生が来たりすると、うれしい。この来る人への好き嫌いのなさが、基本的な人との付き合いではないかと思う。顔を合わせて気持ちが弾まなければ、集まっても仕方がない。




 

| - | 05:29 | comments(3) | - |
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+ 森田雄三プロフィール
1946年・・・石川県白山市に生まれる。 2006年・・・兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を作る。 スイス国立演劇学校(HMT)の教授となる。           ワークショップに関する本が何冊も出版される。           ワークショップに参加した人達、通称:「森田雄三チルドレン」が、ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」(ミクシィ)でも多数存在し、ワークショップでの出来事・森田が話した内容「雄三トーク集」なるコメントがされている。 イッセー尾形の演出家。
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